-嘉田さんは滋賀県の研究機関に勤めていた経験がある。研究者として県当局とどんな関係を築いたか。

 「1981年、琵琶湖研究所に入った時は水質とか生態系とか自然科学の人が主流で、私のような社会学や人類学の研究者はいなかった。これらの学問はどうしても発表が社会的な問題になる。琵琶湖総合開発の批判もするだろう。そういうことも含めて研究の発表の自由を確保してくれと交渉した。琵琶湖研究所や琵琶湖博物館で研究の自由度を担保するため許可決裁ではなく『届け』になった。時として県政の批判もしたが、当時から県当局は研究の自由を担保してくれた」

 -今回の問題は民主主義にも関わってくる。

 「反対意見を排除するのなら独裁。民主主義というのは、反対と賛成の意見があって対話や熟議を重ねて最終的に意思形成する。時には多数決にしないといけないかもしれないが、議論もなく、聞く耳を持たず頭からメンバーを外すのはどうか。学術会議は研究者が戦争に協力したことの反省からできている。1949年の発会式で、当時の吉田茂首相は、時々の政治的便宜のための制約を受けることのないよう高度の自主性が与えられている、と述べている。1980年代には当時の中曽根康弘首相も「政府の任命は形式的」と独立性を強調している。なぜ今、政権与党が独立性を尊重してきた任命を拒否しなきゃいけないのか。

 -任命拒否された研究者はある種のレッテルを張られることになる。

 「そうですよ。学術会議のメンバーになるというのは名誉。拒否されるということは、学者として評価されていない、つまり学者としての人格否定だ。学問の世界は、政治が切り込むべき対象ではない」