■② 利他行


熊谷 「利他行」というのがあります。人のために行うことを指しますが、人に何らかの良い影響を与えることが目的です。それを重ねていくと悟りに近づきます。悟りというと仏教的すぎて敬遠されがちですが、コロナ禍なども、試練を与えられているのだと理解する。これまでの生き方とは違う、また逆のことをしていかねばいけません。気持ちを強く持って、利他の心で日々修行している方には、明日が開けると信じています。

MEGUMI 長い歴史の中で、各時代にファッションやアート分野でも支持された英雄は数多いますが、本質的に、絶対的にゆるがない存在としてお釈迦様はいるということですね。 

 一方で、京都や文化、信心などは入口のハードルが高く感じます。「言葉ではなく感じろ」と。そうではなく、もっと具体的なメッセージがあれば、瞬く間に広がると思います。現在はビジネスライクに、マインドフルネスやメディテーションルームなどが流行っています。そういう広げる力、具体に落とす力は東京やビジネスの世界の人は持っていると思います。もしその具体性が文化や歴史、それこそ神社や寺などの文脈で伝えられると本当に強いのではないかと思います。

熊谷 そうですね。ただ、やはりその場で感じてもらうということが重要です。そこでしか感じられない空気、風、人間の五感、そして第六感にまで作用する力というのは、実際肌身で感じていただかないといけない側面があります。

 私たちは、知識が秀でているわけではないですが、経験があります。地球環境や人の考え方などは刻々と変化するのが常ですが、やることは変わっていません。800年前のお経をずっと唱え続けるのが大事であると。いま求められているのは、それに加えて、新しいことをするということだと感じていますが、模索を続けているところですね。

MEGUMI 800年間、同じことを継続しながらも、守るだけではなく、各時代においてお庭を造ったり、昨今では泉涌寺も一般にお堂を公開したりされていますよね。

熊谷 そうですね。寺の内部のことを外には伝えないという時代もありましたが、今は開放しています。

MEGUMI 日本の天皇家というのは、世界で一番古くからあるんですよね? (※現在も王室・皇室がある国は英連邦を除き世界に約30。英国国王を君主に頂く国も含めれば45を上回る。日本の天皇家は世界最古の王家とされている)

■③ 祈り・お経・呪文


熊谷 明治の神仏分離により、御所で行われていた儀礼の数々は、泉涌寺がやるようになりましたが。

MEGUMI 私たちのために毎日行っていただいているのですね。祈りというのはどういうことなんでしょう?

熊谷 2つあります。1つは「お経」。お釈迦様が言われたことをまとめた経典ですね。「言霊」といわれるように、言葉には力があります。悪口を言うことは穢れ、心にもないような言葉はもちろん伝わりません。ただ読むのではなく、お経というのは気持ち(ご利益)を乗せるわけです。「入我我入(にゅうががにゅう)」と言い、仏様に我が入らせていただいて、仏様にも我に入っていただく。仏様と一体となり、お経を唱えるのです。

 もう一つは「呪文」です。仏教はインドから中国、韓国、日本と伝わってきてそれぞれ経典になっていますが、その中でも訳せない言葉があります。サンスクリット語ですね。日本では梵字と言って、それ自体に力があるので、漢文にも日本語にも訳しません。それらの言葉を「真言」と言います。その言葉を言うだけで、神様や仏様につながる言葉として大切にされています。