南東隅で二つ見つかった柱穴(木津川市加茂町)

南東隅で二つ見つかった柱穴(木津川市加茂町)

 奈良時代に都として造られた恭仁(くに)宮跡(京都府木津川市加茂町)で発掘調査をする京都府教育委員会は4日、政務や儀礼を行う「朝堂院(ちょうどういん)」のものとみられる南東隅の柱穴が発見され、全体規模(東西117メートル、南北98メートル)が確定したと発表した。

 今回は101回目の調査。これまで朝堂院の西南隅、北東隅、北西隅とみられる柱穴が見つかっており、予測通り、今回は南東隅とみられる場所で柱穴(1辺1・5メートル)が二つ見つかった。四隅が分かったため、現在の国道163号と、国道から恭仁小へ続く南北の道を中心に、朝堂院は東西117メートル、南北98メートルで左右対称の長方形だと確定した。

 奈良時代に奈良の平城京から都が移され、恭仁宮は東西560メートル、南北750メートルと平城京よりも小規模に造営された。天皇が儀礼を行う最も重要な「大極殿院」はすでに確認されており、ここ数年は朝堂院と、回廊など大極殿院の構造について発掘が進められてきた。

 今回の調査で主目的だった大極殿院と朝堂院を結ぶ回廊は発見できなかった。回廊は、基礎工事で掘る穴が浅いため痕跡が残りづらい。予測していた場所では土台の石など直接的な遺物は発見されなかったが、人工の溝の跡があり、何らかの工事はあったとみられるという。

 回廊について、京都府文化財保護課の中居和志さんは「最も可能性があったところが空振りだったので(発見の)見込みは薄い」と話す。

 新型コロナウイルスの影響で現地説明会はせず、ウェブサイトや山城郷土資料館(木津川市山城町)で調査資料を公開する予定。