京都の向島団地(伏見区)で育ち、国内屈指の人気ラッパーとなったANARCHY(アナーキー)。音楽活動とともに夢だった映画を初監督した。貧困など、逆境をばねにした実体験も半ば重ね合わせた音楽青春映画「WALKING MAN」。「言いたくても言えない人の気持ちを代弁するのがラッパー。まず一歩、踏み出す勇気を映画に詰め込んだ」と語る。主演は「ちはやふる」の野村周平、10月11日から全国公開されている。ふるさと向島団地への思いを聞いた。(インタビュー:文化部・三好吉彦 構成:岡本晃明)

写真提供©Cherry Chill Will.

                    

―映画では母子家庭という設定になっていましたけれども、ご自身は
 3歳の時に向島団地に来ました。父子家庭でした。小学校1年生ぐらいですかね、親が離婚して。ずっと向島にいました。向島藤の木小学校から向島東中学校です。好奇心旺盛な普通のやんちゃな少年やったと思います。普通にやんちゃって変ですけども。
―結構ワルやったと資料に書かれてましたけど
 それなりにですね。そういう街だったんで。小学校まではちゃんと通ってましたね。中学校はあれですけど。 でもバスケットも好きだったんで、部活は結構真面目にやっていましたね。
―ラップを志すことになったのは
 中学2年ぐらいの時に流行っていたと言ったら変ですけれども、なんだこれはと思って、かっこいいなあと。ライブを見に行くようになり、ライブをするようになり、それで友達みんなで集まって。
―監督された映画「WALKING MAN」の中ではウォークマンでヒップホップに出合ったことになっていましたけれども、ご自身はいかがだったんですか
 そういう感じでしたね。ラジカセで先輩から貰ったテープとか洋服屋さんでゲットしたテープとかを、擦り切れるほど聴いて、「かっこいいなあ」と思って。それを聴きながらスケボーをやっているような。

向島団地で撮影のPV「Where We From feat. T-Pablow」より

                  

―まだラジカセ世代ですか
 全然ラジカセ世代ですね。スケボーは団地の下とか付近でやっていましたね。友達は結構たくさんいました。ラップやったり、DJをやったり、ダンスやったりという仲間が集まって。10人か20人かですね。みんな向島団地の子どもですけど。
―中学生でラップを始めたころ、場所はどこで
 公園ですね。友達と。
―この映画ではラップのバトルをクラブでやっておられましたけれども
 全然そういうのではなく、ブランコがあるような公園で。みんなで輪っかになり、一人一人がラップをつないでいく。言いたいことを何を言ってもいい。中学時代にどんなことを言っていたか、覚えてはいない。ラッパーの練習みたいな感じでしたね。
遊びでやっていたけれども、やり始めたら結構うまくて。うまくてと自分で言うのもアレですが、それでライブをやるようになって。ライブでみんながかっこいいと言ってくれて、ちょっと調子乗っちゃったっていう感じですね。

―映画では社会への不満や「なめんな、なめんな」とのラップのフレーズが頭に残りましたが、中学生当時で覚えているフレーズはありませんか
 なめんな、なめんなと言っていたんじゃないですかね。中学生の時はそんな気分だったと思います。
《京都市伏見区の郊外にある向島団地(向島ニュータウン)は1977年4月に入居が始まり、最盛期には市営と公団、分譲住宅に計2万人以上が入居した巨大な団地。現在は人口減と高齢化が進み、4つの小中学校も統廃合された。居住者には障害者世帯や日本語が不自由な中国帰国者、独居高齢者も多い》
 (連載2「デビューと向島団地での撮影とは」に続く