京都の向島団地(伏見区)で育ち、国内屈指の人気ラッパーとなったANARCHY(アナーキー)。2008年リリースの「FATE」では、/よくある話子供でもロンリー/真っ暗な家に慣れた小2/隣の女の子泣き声響く/上じゃ酒飲みの怒鳴り声/(中略)/逃げ道団地 屋上からジャンプ/と、生い立ちや団地の風景を言葉で叩き込んで見せた。(インタビュー:三好吉彦、構成:岡本晃明)
 

写真提供©Cherry Chill Will.

       
  

 15歳、中学生の終わりぐらいですね。 自分らでパーティーを開いて、隣町の中学とかいろんな中学の子たちを集めて、クラブを借りて何百人か集めて自分らで歌いだしたのは。
―借りたのは京都のクラブですか
 京都のクラブですね、コラージュというクラブで、木屋町(注:京都市中京区の繁華街)にありました。
―木屋町のクラブを中学生が借り切ったんですか
 はい。300人ぐらい集まりましたね。
―高校は行ってないんですか
 行ってないですね。
《「FATE」にはこんな詞も。泣き止まない子供 野良猫にサイレン/傘も意味ない土砂降りのレイン/(中略)後ろ髪引くようなハードな環境/涙の分だけハートは頑丈》
―向島団地で暮らしていたのはいつ頃まででしょう
 15歳ぐらいですかね。中学を卒業したら京都には居たけれども、いろんなところを転々としました。
ステージはやんちゃしていた10代の頃からずっとやっていたし、そのうち自主でもCD を制作していたし、CD が目に止まって真剣にやってみたらと言ってくれる人たちが周りに集まってきて。

 22歳の頃、「お前これだけでご飯食べてみろ」と、「お前のラップやばいぞ」「お前飯食えるぞと」と言われて。それまでラップでメシ食えるなんて発想がなかったので、京都なんか特に。若い時って夢を見るし、すごいワクワクしたし、そこからはラップ以外はしていない。
 ちゃんとデビューしたのが2004年。23歳ぐらいで音楽レーベルに所属させてもらって、  CD を作ったり、イベントを開いたり、いろんなことをやるようになって、そこからはラップでご飯を食べてきました。28歳ごろまで京都で、今は東京暮らしです。

―プロモーションビデオ(PV)では向島団地でロケした曲がありますが
 2009年に「FATE」という曲のPVを向島団地で撮影しました。それから向島団地では撮っていなかったんですけれども、久しぶりに団地で撮ろうということになって。今年3月の「Where We From feat. T-Pablow」で、向島団地に戻って撮りました。
 

PV「Where We From feat. T-Pablow」より

       

ーこのPVに出演しているのは
 みんな友達なんで。違う子もいるんですけれども、小学校から一緒だとか、この辺から一緒だとか。
―根源的な質問で申し訳ないんですけれども、京都時代からラップをやって来られてラップには何を込めておられると言うか、どういう思いを込めてラップをしてきたのでしょう
 今伝えたいこととか、思ったこととか、くだらないこともですし、言いたいことは全部できるだけラップにする、という感じですね。
 込めた思いは曲によって違う。でも出だしの頃は、映画の主人公と同じように、何か、その時の不満だとか、不満だけではない怒りとか喜びとか、悲しみとかすべてなんですけれども、人生を歌う。それに共感をしてくれる人達がいたり、 それを口に出せへん人たちの分も代弁したり。

 ラッパーってそういう代弁者やと俺は思っていて、人の気持ちをちゃんと訴えるラッパーが俺は好きですし、そういうラッパーでいたい。
―新曲のPVを十数年振りに向島団地で撮った理由は
 やっぱりみんなが求めているものというより、自分が作りたいものを俺は作るというのがメインなんです。向島団地にいる俺が見たいかな、向島の奴らも喜ぶし、ある意味初心に帰る気持ちですかね。ずっと団地の歌を歌っているのも嫌ですし、もっと広い所にも届けたいという気持ちでこの10年ぐらいやっていたので、もう一度向島団地で撮影をしてみて向島へのラブもやっぱり歌ってみたいなあと言う気持ちからですね。
―向島団地がやっぱり原点だと考えていいんですよね
 間違いなく原点ですね。
(連載3「ANARCHYが語る演歌、ルーツミュージックとは」に続く)