江戸後期に朝鮮通信使が彦根城下に泊まった際の宿割を示す絵図。宿泊者名が記された小さな付箋も貼られ、町人の住宅が提供されたことを示す

江戸後期に朝鮮通信使が彦根城下に泊まった際の宿割を示す絵図。宿泊者名が記された小さな付箋も貼られ、町人の住宅が提供されたことを示す

 江戸時代の外交使節団・朝鮮通信使が現在の滋賀県彦根市に滞在した際の宿の割り当てを示した絵図が見つかり、立命館大非常勤講師の野田浩子さんが郷土誌で発表した。千人を超える一行を町人の住宅も含め城下町全体で受け入れた様子がうかがえ、野田さんは「井伊家が譜代大名の筆頭という立場にふさわしいおもてなしを心掛けていたと読み取れる」と語る。

 彦根における朝鮮通信使の歴史について著作のある野田さんが昨年10月、絵図の所有者から連絡を受けて調査していた。彦根の通信使宿割図が発見されたのは初めてという。

 朝鮮通信使は将軍の代替わりなどを祝うため計12回派遣された。絵図が作られたのは11回目となる1764(宝暦14)年の往路用で、10代家治の就任にあたって国書を持参する途中に1泊した。この時は朝鮮使節370人と随行の対馬藩主ら千人が、淀(京都市)から陸路で江戸に向かった。

 絵図は縦89センチ、横105センチ。現在の中央町、本町、立花町周辺に当たる城下町の町人エリアを対象に、宿所に使われた156軒を描く。随行の対馬藩士ら宿泊者名を記した小さな付箋を貼り、このうち赤く彩色した寺院など20軒は通信使や通訳の宿だったことを示している。

 京橋通沿いに藩主の本陣が置かれ、周囲に家臣の宿所が集まっている。対馬藩側の依頼文書と照らし合わせると、彦根藩は希望があった数の2倍以上の宿所を用意し、余裕を持って場所を提供したと考えられるという。通信使の日記には彦根の宿泊所が充実し、「陸路中の第一」と評価する声を記録している。

 また、これまで彦根の城下町一帯で居住者名が分かる地図は確認できていなかったといい、野田さんは「今後の城下町の研究に生かせるのでは」と期待する。

 絵図と調査結果は彦根史談会の研究誌「彦根郷土史研究54号」に掲載されており、市立図書館で閲覧できる。