丸岡城御城印。冬バージョン(左)など、季節に合わせ新たなデザインへ更新している=亀岡市余部町

丸岡城御城印。冬バージョン(左)など、季節に合わせ新たなデザインへ更新している=亀岡市余部町

 戦国時代、明智光秀が丹波攻めの拠点とした余部(丸岡)城の御城印が人気を集めている。御城印は印刷したものが多い中、城跡に立つ西岸寺(京都府亀岡市余部町)の副住職が季節ごとに柄や色彩を変えるなど一枚一枚手書きしており、8月末の発行から約3カ月で千枚を突破した。

 これまで西岸寺を訪れる観光客は城マニアなどわずかだったが、大河ドラマで明智光秀が取り上げられると参拝者が増加。全国の御城印ブームに目を付けた森の京都地域振興社(DMO)などの提案を受け、8月27日から御城印を用意した。

 もともと寺の御朱印を手書きで出していたことから、御城印も副住職の漆葉純子さん(53)が制作。寺の門を描いたスタンプや、金泥で描いた円の上に「明智光秀ゆかりの地 余部丸岡城」と書き込む2種類のデザインを考案した。

 御城印は、御朱印と違い書き方の決まりがない。純子さんは、台紙にアクセントで入れるぼかしの色を夏は緑、秋は赤、と季節ごとに変更するなど工夫。12月から来年2月までの冬バージョンは、黒っぽい和紙に金泥で文字を書き、白いインクを雪に見立てて散らすデザインとした。和紙も専門店に足を運んで選び、書道の勉強も再開したという。

 寺はホームページもなく、御城印について自ら発信はしていないが口コミで拡散。城ファンのみならず近隣住民が遠方の親族へのプレゼントとして求めるケースもあるという。

 法要や庭の管理などの合間に作るため1日30枚程度が限度だが、純子さんは「足を運んでもらっているという感謝の思いが原動力。これからも手作りしていきたい」としている。御城印は志納料300円。新型コロナウイルスの影響も踏まえ郵送も対応する。問い合わせは西岸寺0771(24)4738。

≪余部(丸岡)城≫

 15世紀の応仁の乱のころ余部に軍事拠点があったと史料にあるのが初見。明智光秀の丹波侵攻の際、地元の国衆、福井因幡守貞政がこもって抵抗し、滅んだとされる。その後、光秀は亀山城築城まで、余部を拠点とした。丸い岡のようにみえる河岸段丘状にあり、江戸時代の史料では丸岡城とある。