抑留生活体験室。人形は爪の汚れ、手のひらのひび割れまで再現。身に着けたものは旧陸軍で使用されていたものを購入した

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 第2次世界大戦後、旧ソ連による「シベリア抑留」は悲惨さを極めた。旧日本兵ら約60万人が抑留され、氷点下30度の寒さと飢え、過酷な労働で6万人が命を落とした。舞鶴引揚記念館(舞鶴市)は約千点の常設展示でそれを伝えるが、抑留された人たちのたくましさにも驚かされる。視点を変えれば「9割の人は生還したんです」と長嶺睦(むつみ)学芸員は指摘する。

 同様に抑留されたドイツ人、イタリア人の死亡率は40%を超えるという。証明はできないが厳しい日々の中で「楽しみを見いだせたことが大きいのでは」と長嶺さんは考える。例えば、抑留者たちが食事に使ったスプーンは全て手作りだ。抑留者たちは木を削り、金くずを溶かして日用品を作った。小さくとも何かを作ること、所有することが大きな喜びをもたらした。

手作りのマージャンパイ。物を作り、所有し、楽しみに興じることが、過酷な状況を生き抜く活力となった

 マージャンパイも手作りし、空き時間に賭けマージャンを楽しんだ。賭けたものは乏しい食料だ。まさに命がけだが、動物のように食べるためだけに生きるのではなく、娯楽を取り入れ人間としての尊厳を守った。

 花札もあった。どのように調達したのか、彩色も施され、まるで本物だ。「よほど好きな人がいたのでしょう」と長嶺さんはほほ笑む。困難に挑む楽しみは精神を活気づけただろう。

紙の代わりに白樺の皮に日々の思いや和歌をつづった「白樺日誌」。端正な文字が目を引く

 館を代表する展示物「白樺日誌」は、舞鶴市出身の瀬野修さんが白樺の皮に書き続けた短歌や随想、移動記録だ。端正な文字が目を引く。理不尽な状況や家族への心配をつづりながら、筆跡に乱れは見られない。

 旧制中学校の教員だった瀬野さんは当時30代半ば。逆境に対処する冷静さと、全てを記録し伝えようとする意志を持っていたのだろう。「身につけた教養や文化が精神を支えた」と長嶺さんは分析する。苦しさの中、創作の喜びに没入する瞬間もあったのではないか。

 極限状況下でも、楽しみを見つけ、自らを客観視する冷静さが人々を強くした。展示から伝わってくるのは「死んでたまるか」というまっすぐな思いだ。

 「楽しみを見いだす心は生きる力になる」。過酷な状況を耐え抜いた先人たちの「遊び心」こそ、コロナ禍に苦しむ現代社会に必要なものではないか、と長嶺さんは問い掛ける。

 

 舞鶴引揚記念館 全国のシベリア抑留体験者らの寄付を受けて1988年に開館。抑留と引き揚げの歴史を紹介する。346回の引き揚げ船を迎え続けた舞鶴市民や「引き揚げの母」として知られた故田端ハナさんらの活動も伝える。2015年、シベリア抑留と引き揚げ関係資料570点が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶(世界記憶遺産)」に登録。新設した抑留生活体験室は、長嶺さんが3千点以上の資料を調査し、実際の収容所に近いものを再現した。窓の吹雪の映像に一瞬現れる犬は、抑留者たちがかわいがっていた「クロ」だ。舞鶴市平。0773(68)0836。