女子中長距離界の展望を笑顔で語る増田さん(東京都中央区・京都新聞社東京支社)

女子中長距離界の展望を笑顔で語る増田さん(東京都中央区・京都新聞社東京支社)

 1984年ロサンゼルス五輪女子マラソン代表で、スポーツジャーナリストの増田明美さん(57)がこのほど、東京都内で京都新聞社のインタビューに応じた。女子ランナーの草分けとして、83年に始まった第1回全国女子駅伝に出場した増田さんの目に女子中長距離界の現状はどう映るのか。日本パラ陸連会長として迎える東京五輪・パラリンピックへの思いも語った。

 -女子中長距離界のレベル向上がめざましい。どういう要因が考えられるか。

 「私は新谷仁美さんの復活が大きいと見ている。あのプロ意識は半端ない。解説で新谷さんを『令和の有森裕子』と言ったことがあるんです。裕子ちゃんは(自分に)厳しくてプロ化の道をつくったりしたけれど、それは引退後。競技者である新谷さんが、走るのが仕事という姿を体現して昨年の日本選手権1万メートルで渋井陽子さんの日本記録を破っちゃった」

 「コロナ禍で選手たちはさまざまなことを我慢して、心のスタミナがついている。選手に聞くと、レースがなかったから調整する必要がなくて、ずっと鍛錬、鍛錬、鍛錬。すごく前向きなんです」

 -選手の表情や様子に変化は。

 「7月に北海道でレースが再開した時の選手の枯渇感はすごかった。(東京五輪マラソン代表の)前田穂南さんも一山麻緒さんも、それが走り方にも記録にも出ていた。二人に話を聞くと『とにかく試合がうれしい』『一つのレースも無駄にしたくない』と。普通は試合が続いたら休むところも考えるけどそうならない。男子も」

 -全国女子駅伝の思い出を。第1回大会では千葉のアンカーとして優勝した。

 「あの時は調子が悪かった。『天才少女』と言われ全部の記録を塗り替えていた黄金時代でしたが、その私が区間4位だった。かなり貯金があったので私が優勝のゴールテープを切れた。皆に助けてもらった駅伝です」