入湯税を徴収した施設

入湯税を徴収した施設

 京都府北部の冬の観光の目玉は何と言っても温泉とカニ。特に丹後半島の源泉数は府内の約4割の62カ所を誇る。なぜこんなにも多いのか。調べてみると、平成初頭の温泉ブームがあった。

 「町民からの要請もあって我も我もとみな掘った」。1994年に開湯した現在の小野小町温泉(京丹後市)。掘削した旧大宮町の当時主事だった糸井錦さん(66)が懐かしそうに振り返る。

 時代はバブル景気の残り火がまだ地方でくすぶっていた平成の初頭。国が「ふるさと創生」をうたい、全国の市町村に1億円ずつ配った。丹後半島では空前の温泉ブームに沸いていた。

 旧大宮町に前後し、81年丹後町、91年からは岩滝、弥栄、網野、加悦町がそれぞれ掘削。平成の大合併で消えた今はなき旧町が次々に堀り、毎年のように公営の温泉施設が華々しくデビューした。「ふるさと創生から地域の競い合いで、各町に1つという感覚だった。観光誘客と住民の福祉を兼ねられ、手っ取り早かったんだろう」と糸井さんは言う。

 みな一様に温泉に向かった背景には観光への危機感があった。

 「温泉が無ければ観光地じゃない雰囲気だった」。天橋立にある外湯「知恵の湯」の代表を務める山本大八朗さん(72)は当時の厳しい空気感を述懐する。西は城崎温泉、東には北陸の名湯がずらり。日本三景という全国屈指の知名度を誇る名勝でさえ、旅行会社の宿泊候補地から漏れる憂き目に遭っていた。

 99年。泉源を求めていた天橋立の旅館関係者らの悲願が成就する。当時の京都新聞は「毎日冷や冷やしながら工事を見守ってきたがほっとした。宿泊増に期待が持てる」と、関係者の喜びの声を紹介している。03年には外湯施設も開業し、閑散期だった冬場も観光客が訪れるようになった。今も年間320万人が押し寄せる天橋立の人気を下支えする。

 丹後のみならず中丹も含めた北部の温泉掘削を担ったのは京丹後市網野町の「京水工業」だ。温泉関係者によると、同社が掘った温泉数は府北部の約9割に上るという。温泉は1本掘るのに調査費やボーリング費など1億2、3千万円を必要とした。多くの旅館が数軒単位で温泉組合を結成し、少なくない身銭を切って費用を捻出したが、「温泉が出なければ全てが水泡に帰す」というギャンブル。ところが「京水さんはほぼ100%で掘り当てた」。1400~1600メートル掘ればどこでも出ると言われた丹後半島だったとしても驚きの精度だったという。社長の知人の地理学の専門家が現場に同行して指し示していたといい「縁が無ければ温泉は掘れない」と言い切る。

 しかし、かつての温泉ブームも今は昔。20年以上がたった今、各自治体は施設の乱立や流行の陰りに加えて、利用者の減少や老朽化に頭を悩ませている。

 93年に開業した「クアハウス岩滝」(与謝野町)。13種類の浴場と25メートルプールを備え「丹後で最もナウいスポット」と称された同施設は旧岩滝町が25億円を投じて建設した。数年後には年間17万人が訪れる盛況ぶりだったが、3町が合併した新町の財政を圧迫している。

 与謝野町は2年前に約5億円かけて改修したが、工事明けの半年の来場者は約3万7千人にとどまる。旧6町が合併した京丹後市も状況は同じだ。昨年に宇川温泉の改修が始まったが、他5カ所も施設更新を控えている。

 丹後半島への入り口に位置する与謝野町上山田。掘り当てたにもかかわらず「ふたをされたまま」の泉源が今も地中に眠っている。

 旧野田川町時代の90年に町内の織物会社ら出資の民間会社が掘削した。翌年には町も加わって第三セクターとして開発に乗り出した。当時町職員だった太田明さん(68)は「他町が温泉や道の駅の開発で盛り上がる中、負けていられないという思いがあった」と話す。

 だが、「新たな観光拠点に」とバブルのいきおいそのままに膨らんだ夢は実現しなかった。資金面で関係者間に摩擦が生じ、町が99年に三セクから撤退。民間による開発も進まず、温泉が日の目を見ることは無かった。

 「夢みたいな景気のええ時代だった」。元野田川町産業課長の吉田伸吾さん(68)が小さな公民館でつぶやき、言葉を続けた。「クアハウスの現状を見ると、施設を作らなくて正解だったんじゃないかという思いもある」