「たっち」で昼食を食べる川瀬さん。コロナ禍の前は盲ろう者が包丁や火を使って料理も楽しんでいたが、今は3密対策で控えている

 昨年11月。盲ろう者の当事者交流会「たっち」の会場である近江八幡市安土町のアパートに、川瀬さんの姿があった。耳元をイヤリングで飾り、昼食に持ち込んだ好物のすしを2パックとも完食した。意思疎通する気力さえも失うほど衰弱していた4カ月前の面影はなかった。

「たっち」の会場には「密着は盲ろう者のいのち」という見出しの日本聴力障害新聞の記事が貼られていた

 会場は「3密」(密閉、密集、密接)対策で窓を常に開放し、盲ろう者の参加を3人に絞っていた。しかし、「密接」は避けられない。盲ろう者の「会話」に、手と手の触れ合いは欠かすことができないからだ。「『密着』は盲ろう者のいのち」。会場の壁に貼られた日本聴力障害新聞の記事が私の目にとまった。

 外は激しい雨。仲間が触手話で「嵐」と伝えると、川瀬さんは「かっこいいよね」と手話で応じた。視力を失う直前にデビューしたアイドルグループ「嵐」と早合点したのだ。周りから天気の話だと指摘されると、右手を右胸と左胸に順番に当てた。

 私は晴れ女。帰る頃には大丈夫

 川瀬さんは念入りに手指を消毒して触手話に励み、休憩を惜しんで「話し相手」を探し続けた。私が今の生活について尋ねると、衰弱当時は力なく垂れるだけだった腕が力強く動いた。

 みんなと集まって会話をしたいと考えていました。掌(てのひら)書きは時間がすごくかかり疲れてしまう。やっぱり「たっち」に来て触手話で話をするのが一番楽しい

笑顔を見せる川瀬さん。多くの人の支援を受けて体力が戻り、表情も再び豊かになった
「しが盲ろう者友の会」は昨年7月、感染対策を講じた上で「たっち」を再開した
触手話を使う盲ろう者同士であっても意思疎通がうまくいかないことがある。通訳・介助者が間に入った
年賀状を書く川瀬さん
川瀬さんが書いた年賀状。彩りを添えるシールも通訳・介助者に模様や色を確かめながら貼った
手芸作品をつくる川瀬さん
川瀬さんが使っている時計。表面のふたを開け、針を触って時間を確かめる

 交流会を運営する友の会理事の久郷慶子さん(72)が「支援者が連携を深めたことに加え、仲間と通じ合えるようになった点が大きい」と教えてくれた。

 生きる上でコミュニケーションが欠かせないのは障害の有無を問わない。ただし盲ろう者は手と手が離れた瞬間、光も音もない世界に独りで置いていかれる。3カ月間に及んだ取材を通じて、感染防止に物理的な距離をとる必要性が声高に叫ばれる時だからこそ、以前にも増して「心の距離」を縮め、支援を密にしなければならない人がいると気付かされた。

「たっち」を終えて通訳・介助者との別れを惜しむ川瀬さん(右)。送迎車の窓に青空が映り込んでいた=近江八幡市安土町

 交流会は昼すぎに終了した。アパートを出た時には青い空が広がっていた。送迎車に乗り込んだ川瀬さんが通訳・介助者の手に自分の手を重ねた。

 また会いましょう。ありがとう

 コロナ禍の前から変わることがない、川瀬さんの別れのあいさつだった。

(おわり)

3カ月に及ぶ取材が終わり、記者は川瀬さんの掌に「ありがとう」と書いた。川瀬さんは感謝の気持ちを表す手話を教えてくれた