発掘調査で見つかった古代東海道の側溝とみられる2本の溝跡。奥で人が並んでいるのが北側溝(栗東市六地蔵・高野遺跡)

発掘調査で見つかった古代東海道の側溝とみられる2本の溝跡。奥で人が並んでいるのが北側溝(栗東市六地蔵・高野遺跡)

古代東海道の側溝とみられる2本の溝跡のうち、北側にある溝跡(栗東市六地蔵・高野遺跡)

古代東海道の側溝とみられる2本の溝跡のうち、北側にある溝跡(栗東市六地蔵・高野遺跡)

発掘調査で見つかった古代東海道の全景。左右の溝跡の間は約16メートルあり、9人が手を広げて並んでも余裕ができている。中央にある土手は現在の農業用水路(栗東市六地蔵・高野遺跡)

発掘調査で見つかった古代東海道の全景。左右の溝跡の間は約16メートルあり、9人が手を広げて並んでも余裕ができている。中央にある土手は現在の農業用水路(栗東市六地蔵・高野遺跡)

 滋賀県文化財保護協会は28日、栗東市の高野遺跡から古代東海道の遺構が見つかったと発表した。同遺跡では古代東海道が横断していると以前から推定されていたが、大規模な遺構が確認されたのは初めて。同協会は「これまでの推定を発掘調査で実証し、ルートを確定できた。東海道のありようを考える上で貴重な成果」としている。

 調査は農地の区画整理に伴い2018年度から始まり、本年度は約1万1900平方メートルで行われた。

 遺構は、幅約16メートルの間隔で平行に延びる2本の溝跡(長さ約100メートル、深さ約20~50センチ)。従来の研究で古代東海道の存在が推測されていた地点で発見された。協会によると、溝跡は排水などに用いられた道路脇の側溝とみられ、2本の溝跡の間には同時期の遺構が他に見つからなかったことから道路と断定できた、としている。また溝跡から奈良-平安初期の須恵(すえ)器や瓦などが出土したことから、同時期には既に東海道として機能していたとみられるという。

 古代東海道は奈良-平安時代に整備された七道の一つ。協会の説明では同地域は野洲川と葉山川に挟まれた場所にあり、古代から川の氾濫が起きていたため安全な場所を求め、江戸期に整備された近世東海道の位置に移転した可能性があるとしている。同地域で近世東海道は南に最大約200メートル迂回(うかい)した場所を通っている。

 今回の調査ではこの他、旧河道跡から古墳-平安初期の須恵器や土師(はじ)器などが大量に出土しており、同地域が古代から物流の拠点となっていたことも改めて裏付けられた。

 同協会は調査資料をホームページで公開している。新型コロナウイルスの感染拡大を考慮し、現地説明会は実施しない。