八木城跡遠景(北から)

 今、全国的に城ブームだと言われています。「天空の城」として注目された兵庫県朝来市の竹田城跡には、10年前の20倍以上の来城者が訪れていることからも、関心の高さがわかります。NHK大河ドラマでも人気の戦国時代は、全国に多くの城が築かれました。そのため、城は身近に戦国時代を感じる文化財といえます。城というと、二条城や姫路城のような白壁の天守や櫓(やぐら)、石垣がある城をイメージする方が大半だと思います。しかし、戦国時代に造られた城の大半は、山を削り、土を盛り上げて築いた、「土の城」でした。

八木城跡発掘調査で検出した石垣(1992年10月撮影)=府埋蔵文化財調査研究センター提供

 それでは、京都府内に城はいくつあるのでしょうか。府教育委員会が2009年から6年をかけて実施した中世城館跡調査の結果、府内の城の総数が約1300カ所に及び、全国でもトップクラスの数であることが判明しました。この中でも、府内で最大級の規模を誇るのが、八木城跡です。

 JR八木駅から南側に目を向けると、頂上から階段状に平坦(へいたん)部が続く山を望むことができます。この平坦部分が全て八木城跡の曲輪(くるわ)です。南丹市と亀岡市にまたがる城跡の範囲は、南北約640メートル、東西約560メートルに及び、京都御所の3倍以上の面積があります。さらに、尾根続きには鶴首(つるくび)山城跡、内山城跡、家老ケ岳城跡といった城跡もあることから、丘陵全体が城になっていたといえるのです。

八木城跡本丸石垣(北から)

 八木城を拠点として活躍したのが、丹波国守護代の内藤氏です。守護の細川氏は在京していたので、内藤氏が実質上の丹波国守護の役割を担っており、八木城が丹波国の政治・軍事の中心でした。キリシタン大名として有名な内藤ジョアン(1550頃~1620年)もここで生まれたと考えられます。内藤ジョアンの後、明智光秀が入城したことが文献史料からわかり、丹波国の中心としての役割は継続していました。そして、亀山城(亀岡市)の築城とともに廃城となり、八木城の機能は亀山城に移されました。

八木城跡の発掘調査風景(1993年8月撮影)=府埋蔵文化財調査研究センター提供

 八木城跡の中心に位置する本丸は、山頂部分にあります。大半は土で築かれていますが、この本丸周辺には石垣を用いています。石垣は廃城後に大きく壊されたようですが、一部は1メートルほどの高さで残っています。また、江戸時代に描かれた絵図に「金ノ間」と記載される土台跡があり、天守に相当する建物の存在が考えられます。石垣を作る技術は、安土桃山時代以降に発達し、重要な城に用いられたことがわかっています。そのため、明智光秀の時期にも八木城が重要視されていたことがわかります。

 八木城跡に関する発掘調査として、京都縦貫自動車道の建設に伴って公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センターが山裾部の調査を実施しました。調査地では部分的に石垣を用いた平坦面が多数見つかり、家臣の屋敷地と想定されています。出土遺物から、本丸と同じく明智光秀による改修と考えられます。

八木城跡

 本丸までは登山道が整備されており、登山道入り口は城門風の高速道路の橋脚となっています。一部急なところもありますが、ゆっくり登っても登山口から1時間弱で本丸に到着できます。本丸からは亀岡盆地が一望できる絶景を味わえます。府内にある城の多くは木々の緑に深く覆われており、気軽に訪れにくい城が多いですが、八木城跡は地元自治会の皆さんが整備されておられるおかげで、とても登りやすくなっています。私有地ですので、見学の際には事前に八木南地区自治振興会館0771(42)4485に連絡してください。皆さんも、八木城を訪れ、内藤ジョアンや明智光秀が見たものと同じ景観をご覧になってはいかがでしょうか。(文化財保護課記念物担当 中居和志)