来日していたスーチー氏と対談し、握手する空野さん(2013年4月、京都市下京区・徳正寺)=空野さん提供

来日していたスーチー氏と対談し、握手する空野さん(2013年4月、京都市下京区・徳正寺)=空野さん提供

「ビルマ(ミャンマー)の平和を信じて訴え続けたい」と語る空野真雲さん=大阪市内

「ビルマ(ミャンマー)の平和を信じて訴え続けたい」と語る空野真雲さん=大阪市内

 ミャンマーで起きた国軍によるクーデターで、民主化を先導してきたアウン・サン・スー・チー国家顧問らが拘束され、日本で暮らすミャンマー人からは、憤りの声が上がっている。

 「8888の怖さをもう1度感じるなんて想像もしなかった。絶望です」。政治難民として2001年に日本に逃れたミャンマー出身の自動車整備士空野(そらの)真雲(まうん)さん(51)=大阪市=は、悔しげに語った。「8888」とは、88年8月8日に大規模なストライキやデモがあった民主化要求運動のこと。高校生だった空野さんは、最大都市ヤンゴンでデモに参加した。だが、その後の国軍の武力鎮圧で、数千人の学生らが犠牲になった。空野さんも政治活動に関わったとして警察に追われ、地方に逃れたのち、韓国を経て船で日本に逃げた。一緒に乗船した仲間10人は行方不明になった。入国管理局への収容を経て、2006年に難民に認定。支援団体「日本ビルマ救援センター」のサポートで資格を取り就職した。

 スー・チー氏とは13年、27年ぶりに同氏が京都を訪れた際、徳正寺(下京区)で他のミャンマー難民と一緒に対面し、言葉を交わした。「国のために日本でも頑張ってくれたらうれしい」と励まされたという。空野さんは京都や大阪で講演活動を続け、ミャンマーが民政に移管した後は、タイ国境のミャンマー難民キャンプを訪れ、教育支援などに取り組んできた。

 法務省によると、軍事政権下にあった1982年から2010年までに、政治難民を含めて約3700人のミャンマー人が難民申請し、現在も多くが東京を中心に生活している。スー・チー氏の拘束後、日本国内でもミャンマー人は各地で抗議デモを開き、国軍に圧力をかけるように日本政府に求めている。空野さんは「命がけで国を発展させてきた『ミャンマーの母』を危険な目に遭わせたくない」と不安を募らせる。「武器を持つ軍に抵抗できないことは悔しいが、日本でも訴え続けたい」と力を込める。