舞鶴湾に投下された機雷に焦点をあてた冊子をまとめた関本さん(京都府舞鶴市)

舞鶴湾に投下された機雷に焦点をあてた冊子をまとめた関本さん(京都府舞鶴市)

 太平洋戦争での米軍による舞鶴湾への機雷投下に焦点をあてた冊子を、京都府舞鶴市の市民グループ「戦争・空襲メッセージ編さん委員会」が発行した。米軍機B29によって400発以上の機雷が投下され、軍港が封鎖された実態や日本軍の掃海作業、舞鶴での機雷製造にも触れた。同会は「舞鶴湾にばらまかれた機雷の実態が浮き彫りになった」としている。

 事務局長の関本長三郎さん(77)=同市大波上=が、米国立公文書館や空襲に関する資料を基にまとめた。

 冊子によると、米軍は終戦の年の1945年、日本近海の航路・港湾封鎖を目的に機雷投下作戦を実施。舞鶴周辺での投下数は米軍の記録を基に、5月20日から8月13日までに9回、延べ64機で465個と計算した。終戦後の11月までに舞鶴湾で10隻が「機雷接触」とされる沈没や航行不能になったと記した。

 戦後の命懸けの掃海作業を担当した元舞鶴鎮守府防備隊責任者の証言を掲載した新聞記事のほか、機雷はパラシュートを付けて投下されたため、山や畑に落ちた不発弾を集めた住民の証言も紹介。日本軍が舞鶴工廠(こうしょう)第2造兵部(倉谷)で機雷や潜水艦の撃沈に使用する爆雷を製造していたことも詳述している。

 関本さんは、船を使って機雷を設置した日本軍と、飛行機で投下した米軍の戦力の違いに触れ、「日本は精神主義で戦争を長期化させ、国民に多くの犠牲を強いた。調査を通してもっと早く終戦にすべきだったと改めて感じた」と話した。

 冊子はA4判16ページで希望者には印刷代100円で販売。問い合わせは関本さん0773(62)5736。