「電気密度試験器」 明治15年ごろ製造(販売)開始

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 島津製作所創業記念資料館(京都市中京区)の展示は簡潔だ。初代島津源蔵(1839~94年)と、息子の2代目源蔵(1869~1951年)が手がけた明治以来の理化学器械が並ぶ。木製台座にはめ込まれた渦巻き状のガラス管や金属の円盤。ただ、名称は紹介しているが、用途の説明はない。

「菌類蝋製模型(食用・有毒)」 明治28年ごろ製造(販売)開始

 2011年の改装までは説明文を設置していたが、どう書いても難しい。「違う見せ方をしたい」と学芸員の川勝美早子さんらが考え、説明を外して自由に見てもらうことにした。

 説明なしのまま見ると、1点1点の姿が強調されるようだ。幻灯器、流電計、電子卵。用途が分からなくても、楕(だ)円や曲線の美しさに引きつけられる。黄金色の金属部分、つややかな木の台座が目に心地よい。

 島津源蔵は「見せ方を計算して実用性だけでなく装飾的要素もそぎ落とさず作った」と川勝さんは指摘する。明治期、まだなじみの薄かった科学に興味を持ってもらうため、製品の美しさも意識したのだろう。

「電気卵」 明治15年ごろ製造(販売)開始

 もともと島津源蔵は仏具職人だった。明治初期、日本は殖産興業を進め、京都でも東京遷都後の復興を目指して欧米の技術が導入された。理化学の実験・教育機関、舎密(せいみ)局が置かれると、近くに店を構える源蔵はドイツ人指導者ゴットフリード・ワグネルらに学び、教育用理化学器械の製造に乗り出した。実験を通じて電気や重力などの概念を理解させる器械だ。

「昼夜の長短説明器」 昭和4年ごろ製造(販売)開始

 例えば「電気密度試験器」は、金属部分を帯電させて上から紙吹雪を散らし、紙がくっつく様子で電気の分布状態を見る。金属部分に源蔵の鋳物の技が生きている。「昼夜の長短説明器」は説明する先生と生徒の模型付きで愛らしい。

 源蔵は製品を博覧会に出品し、公開実験や雑誌の発刊を通じて科学の有用性を訴えた。55歳で亡くなった後、息子の2代目源蔵も器械製作や発明に才能を発揮し、医療や蓄電池など新分野に事業を広げていった。

 同館には、明治以降の産業の流れを知る場として経営史や教育史を学ぶ人も訪れる。世界的企業の発端が仏具師の技だったことを考えると、京都が多くの個性的な企業を生み出したのは、王城の地として千年以上の技術の蓄積があったからだと理解できる。

 

 島津製作所創業記念資料館 1975年開館。創業以来製造してきた理化学器械やX線装置、標本などを展示する。小学校の統廃合や大学教授が退官する時に「昔の島津の器械がある」と連絡が入ることもある。学校に納めた製品は長期間使われるため、社員でも知らないものがあり、昔のカタログを調べるという。初代島津源蔵が理化学器械普及のために作ったカタログも現存する。手描き図版が整然と並び、教育関係者の興味をかき立てたことが想像される。京都市中京区木屋町二条。075(255)0980。