兵庫県側も含め、丹波の戦国史に詳しい芦田さん(福知山市)

兵庫県側も含め、丹波の戦国史に詳しい芦田さん(福知山市)

建物は再建だが、石垣は光秀時代のものが残る福知山城(福知山市)

建物は再建だが、石垣は光秀時代のものが残る福知山城(福知山市)

 京都府亀岡市や福知山市などの誘致も踏まえ実現した大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」は2月7日で放映を終えた。丹波に密着する研究者や戦国期に詳しいライター、光秀愛あふれる地元住民らは今、何を思うか。識者らに実施した書面アンケートの回答全文を紹介する。

福知山市佐藤太清記念美術館主任学芸員の芦田岩男さん

■質問1 「麒麟がくる」で良かった点は

 ・明智光秀の評価が変わった点。
 ・「麒麟がくる紀行」で福知山城、明智藪(やぶ)、御霊神社が紹介されたこと。

■質問2 描いてほしかった場面や物足りなかった点は

 ・ドラマの時代配分が光秀前半生に重点が置かれ、天正期は駆け足であった。この時期は明智光秀の戦国武将としての過渡期・成長期であるので、もう少し丁寧に取り扱ってほしかった。また、丹波平定を織田信長に報告した際には、「日向守(光秀)の働きは天下の面目をほどこし候」と高い評価を得ていることも重要な場面設定であった。

 ・丹波国は明智光秀が5年の歳月をかけて攻略後に国持大名となる国である。黒井城攻めでの波多野秀治離反による敗戦状況や八上城籠城戦、鬼ケ城攻めなども描いて、丹波の国衆に対する光秀の作戦や山城の特徴など、どのようなものであったのか、ドラマで丁寧に場面展開してほしかった。

 ・天正9年(1581)4月に津田宗及などを福知山城や道中で接待し、天橋立を共に訪れて遊興した場面は茶人や連歌師などを交えて明智家と細川家が友好的に過ごしたことが語られる名場面だけに描かれることが望まれた。

 さらに、織田家臣団にあって唯一の軍法を光秀が制定した意義などもドラマ展開して取り上げてほしかった。

 ・ドラマの中で明智秀満が着用していた甲冑は、東京国立博物館所蔵の伝明智秀満所用の「南蛮胴具足」を忠実に模して制作していた。それとは違って、ドラマの中で光秀が着用していた兜の前立ては三日月で、吹き返しには桔梗紋を付していた。光秀が所用していたのは唯一史料的にも記録が残る井伊美術館所蔵の「紅糸縅(おどし)本小札二枚胴具足(福知山光秀ミュージアム展示)」で、この具足を模したものにするべきであった。魔除けの宝剣を前立に据えたこの具足は光秀配下の木俣守勝が徳川家康に帰参した際の餞別[せんべつ]品として与えたもので光秀の人柄をあらわしている。

■質問3 ドラマ舞台となった経験を今後地域にどう生かしていけるか

 ・福知山光秀ミュージアム最終日の閉館セレモニーで、大橋一夫福知山市長が「光秀イヤーとして、オール福知山で知名度向上に努めてきた。これをレガシー(遺産)に、今後もまちづくりを進めていきたい」と語ったことを実践していきたい。