遊ぶ猫 小笹逸男 1982年

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 障害のある人が作り出すアートは第3次ブームの中にあるとみずのき美術館(亀岡市)キュレーター奥山理子さんはみる。東京パラリンピックを追い風に世間の注目度は高い。だが、ブームだけならいずれ終わる、と奥山さんは過去を振り返る。

 第1次ブームは1993年。東京の世田谷美術館で「パラレル・ヴィジョン」と題しアウトサイダー・アートと20世紀美術を対比する展覧会が開かれた。アウトサイダー・アートとは、伝統的な美術教育を受けていない人が生み出す作品。元はフランスの芸術家ジャン・デュビュッフェが提唱した「アール・ブリュット(生の芸術)」の概念で、日本でも広まった。

 社会福祉法人「みずのき寮」(現・障害者支援施設みずのき)も日本のアウトサイダー・アートとして紹介された。60年代から日本画家・西垣籌一(ちゅういち)氏を講師に絵画教室を行ってきた実績があったからだ。94年にはスイスのアール・ブリュット・コレクションにアジアで初めて作品が永久収蔵された。

木 二井貞信 1976年

 ところが2000年代に入ると、絵画教室で少数の人を選抜指導していたことがアール・ブリュットの理念に反すると批判を受け、みずのきの作品は一転タブー視されるようになる。

 奥山さんは当時の戸惑いを語る。「作品を貸してと言ってきていた人たちが離れた。作品は変わっていないのに」。西垣氏が00年に死去したこともあり、毀誉褒貶(きよほうへん)にほんろうされた。

 だが、この苦い経験が12年の美術館開設に生きた。「自分たちで作品を語りたい」との思いから生み出した場は地域に受け入れられ、開館1年で亀岡の創造拠点となった。作品のデジタルアーカイブ事業も始め、自分たちなりに歴史を紡いできたと確信できるようになった。

2020年のDance Wellワークショップの様子

 奥山さんが求めるのは、障害のある人の芸術を専門とする研究者だ。障害の研究資料として使われるのではなく、従来の美術史に組み入れられるのでもなく、障害のある人の芸術そのものを分析してほしい。

 アール・ブリュット研究を望む学生や作品に共感する美術家は増えている。「この作品はなぜ素晴らしいのか」を解釈できる研究者が現れたら「ブームは分野として定着する」と奥山さんは期待する。

 

 みずのき美術館 障害者支援施設みずのきが1964年から2001年まで開いた絵画教室作品の展示と所蔵、そして現代では解釈の幅が広がった「アール・ブリュット」の概念考察を目的とする。大正時代の町家を改築したたたずまいは街に溶け込み、地域とのコラボレーションイベントも多い。亀岡市北町。0771(20)1888。