寛永6年の火災直後に清水寺に宛てて出された手紙。本尊の無事を確かめるなど緊迫した様子が伝わってくる

寛永6年の火災直後に清水寺に宛てて出された手紙。本尊の無事を確かめるなど緊迫した様子が伝わってくる

 1629(寛永6)年9月の大火で本堂をはじめ諸堂がほぼ全焼した清水寺(京都市東山区)で、火災直後の様子が分かる手紙などの文書が初めて見つかっていたことが分かった。当時、清水寺の本寺だった奈良の興福寺門跡・一乗院が本尊の十一面千手観音菩薩(ぼさつ)像の無事を心配して尋ねるくだりもあり、混乱のさなかの緊迫した様子が伝わってくる。

 寛永の大火災は同年9月10日昼ごろ発生、清水寺境内の成就院からの出火により仁王門や鐘楼を残して伽藍が焼失した。当時の公家の日記や江戸幕府の史書にも記録される大事件だったが、清水寺には資料がほとんど残されておらず、これまでは本堂舞台の擬宝珠(ぎぼし)や諸堂の棟瓦に記された墨書を頼りに再建の記録をたどってきた。

 昨年5月、塔頭の成就院の文書を整理していたところ新たな古文書が見つかったことから寺が詳細な調査を実施。大火直後の様子が分かる貴重な資料の存在が明らかになった。