震災後に手がけた岩手県陸前高田市の芝生グラウンドを整備する松本さん(2012年、松本さん提供)

震災後に手がけた岩手県陸前高田市の芝生グラウンドを整備する松本さん(2012年、松本さん提供)

 昨年10月。岩手県陸前高田市のグラウンドに、日本の芝生管理の第一人者、松本栄一さん(65)=京都市左京区=は立っていた。自ら手がけた芝生が青々と広がる。所々荒れた部分を見つけると表情が緩んだ。「使った跡があると、ほっとする。みんなに使われてこそのグラウンド。管理者冥利(みょうり)に尽きる」

 被災地の子どもたちが体を動かせるグラウンドを作ってくれないか―。震災からしばらくして、当時日本サッカー協会で復興を担当していた加藤久さん(64)=現京都サンガFC強化育成本部長=から相談を受けた。福島県にある国内初のサッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ(JV)」の芝生を手がけた腕を買われた。

 自身も被災者の一人だ。3月11日の地震発生当日は仕事で京都にいて難を逃れたが、福島県広野町にあった自宅にはしばらく戻れなかった。JVは福島第1原発事故の収束作業の拠点になり、手塩にかけた天然芝は駐車場に変わった。被災地を見て回り、「自分にできることはないか」との思いが募り、旧知の友人からの依頼を二つ返事で引き受けた。

 手がけたのは、東日本大震災で津波被害に遭った小学校の仮設グラウンド。元々がれきの山だった土地は、現地のNPOやボランティアら約300人の協力で苗を植えて水をやり、2012年秋に芝生のグラウンドに生まれ変わった。

 現在、雑草抜きなどの普段の管理は地元住民が担う。それでも、松本さんは毎年現地に通い、新しい種をまくなどの更新作業に無償で携わっている。

 子どもたちのためのグラウンドは、今ではお年寄りがグラウンドゴルフを楽しむなど、地元の人たちに広く親しまれる場所になった。震災から5年の16年には、Jリーグの川崎フロンターレとベガルタ仙台のチャリティーマッチが開催され、千を超える人が集まった。「楽しそうに試合を見てくれていたのがうれしかった。みんなの笑顔が一番のご褒美」と目を細める。

 震災から10年。「あっという間だった」としみじみ語る。東北を訪れるたびに復興の兆しは感じているが「陸前高田に比べて福島は変化が少ない。原発もあって人が戻っていない。誰も経験したことのない放射能という災害。できれば避けて通りたいのが人間の本能だと思う」ともどかしさも抱える。

 芝生管理のボランティアは「自分の体が言うことを聞く限り、できるだけ続ける。その他の場所でも『助けてくれ』という話があればいくらでもやりたい」。被災地に向けられた思いは、情熱を注いできた芝生のように枯れることはない。