昭和40年頃の竹中精麦所。白川にかかる橋は、近くにあった製氷会社が氷の保存に使うおがくずを運ぶための道具名から「もっこ橋」と呼ばれたといい、今も残る(竹中さん提供)

昭和40年頃の竹中精麦所。白川にかかる橋は、近くにあった製氷会社が氷の保存に使うおがくずを運ぶための道具名から「もっこ橋」と呼ばれたといい、今も残る(竹中さん提供)

巨大な水車が回っていた水路跡に面して開設される「時忘舎」(京都市左京区)[LF]

巨大な水車が回っていた水路跡に面して開設される「時忘舎」(京都市左京区)[LF]

時忘舎

時忘舎

 琵琶湖疏水を活用した巨大な水車が、大正から昭和にかけて京都市左京区岡崎の白川沿いにあった精麦所で回っていた。その記憶を受け継ぐため、所有者の子孫が設けた文化拠点が3月に開設される。水車が動いていた水路の跡をそのままの形で残し、改修した精麦所の建物を研修講座やミニコンサートなどの貸し会場として使う。開設者は「京都の近代化の歩みを感じる場にしたい」と話す。

 水車は1917(大正6)年頃から「竹中精麦所」の動力として琵琶湖疏水とつないだ水路で使われた。直径5メートル近くあったといい、80基の臼を動かして製粉を行ったが、戦時下で廃業を余儀なくされた。精麦所はその後、アパートなどに転用され、昭和50年代に老朽化した水車と建物の一部が解体されたという。

 一帯にいくつもあった工場はマンションなどに変わり、ほかの水路が暗きょになっていく中、2015年に岡崎地区を中心とした地域が国の重要文化的景観に市内で初めて選定された。京都の近代化を物語る岡崎地域の風景が再評価される動きを受け、精麦所の創業者の孫たちが一般社団法人「水車の竹中保存会」を立ち上げ、古いまま残っていた精麦所の建物を改修して文化サロン「時忘舎(じぼうしゃ)」として残すことにした。

 水路跡は埋めずに庭に残し、建物に入る「橋」から見ることができる。最大30人収容が可能な約40平方メートルのメインホールにはピアノを置き、休憩できるカフェサロンを設けた。建物の梁(はり)もそのままで、精麦所時代の雰囲気を今に伝える。カフェサロンを喫茶として3月9日から開き、4月以降に伝統文化を考える講座の開催を予定している。保存会代表理事の竹中千鶴子さん(78)=左京区=は「貸し会場としてだけでなく、京都の近代化を見つめ直す催しを企画したい」と話す。問い合わせはメールinfo@jibohsha.comへ。