「物事が動くのは簡単なことではなかった」とこの10年を振り返りつつ、「京都などさまざまな場所で温かい人に支えられた。今後は恩送りもできれば」と語る宇野さん(京都府京田辺市内)

「物事が動くのは簡単なことではなかった」とこの10年を振り返りつつ、「京都などさまざまな場所で温かい人に支えられた。今後は恩送りもできれば」と語る宇野さん(京都府京田辺市内)

 東日本大震災から10年の節目を「模索」とともに迎えようとする自主避難者がいる。福島第1原発事故で福島市から逃れ、現在は京都府京田辺市に暮らす宇野朗子(さえこ)さん(49)。被災者支援の具体化や原発廃止といった当事者運動に中心的に取り組むが事態は進展せず、社会の関心も薄れる状況に行き詰まりを感じながらも、前を向こうともがいてきた。11日は福島の女性たちとの集会に久々にオンライン参加する予定で、「それぞれの10年を振り返りたい」と語る。

 宇野さんは原発事故の直後、4歳の長女と避難し、福岡県などを経て2013年から京都府内で暮らす。当事者運動に積極的に参加し、15年には強制避難者や自主避難者、被災地に戻った人、とどまった人らが分断を越えてつながり、それぞれの自己決定を保障するよう国に求める「『避難の権利』を求める全国避難者の会」の共同代表に就任。福島県が17年3月に自主避難者への無償住宅提供を打ち切る方針を打ち出すと、署名20万筆を集めて継続を訴えたがくつがえらず、「人と人は通じ合えないのか」と無力感を深めた。

 避難指示の解除など被災者の思いとかけ離れた政策が展開されても、社会の反応は薄かった。国の原子力政策も「あれだけの大事故を経験したのに、なぜ原発廃止にかじを切れないの」。時の経過とともに、人によって大震災に関する情報格差が大きいと感じるようにもなった。

 大震災から7~8年たつ頃には、講演など人前で話しても自分の心からの言葉を出せなくなった。「一度立ち止まりたい」。資格を持っていた保健師や看護師として府内の自治体や緩和ケア施設で働き始め、人と人のつながりを感じる場面に立ち会う機会を得た。新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年からはオンラインで「一人一人が変わることで、社会における大きな動きへとつなげるには、どうすればいいか」をテーマに議論する場も有志で定期的に持ち、今後に可能性も感じられるようになった。

 「10年目を絶望の気持ちで迎えるのかと怖かったけれど、何とか迎えられそう。原発や核の問題は時間がかかっても解決しないと。次の10年間で幅広い対話の場を作れたら」。11日は、旧知の団体「原発いらない福島の女たち」の集会にオンラインで参加する。みんなは今の社会をどう見ているのか、どこに危機を、そして希望を感じているか。心を傾けて聞くつもりだ。