帰還後に台風で自宅が被災し、いまだ修繕されない室内にたたずむ明智真実さん(右)と長女礼華さん=福島県いわき市

 帰省するたび、中身が空っぽの冷蔵庫が目に付いた。食器棚にはほこりが積もり、洗濯かごには汚れた仕事着がたまっていた。

 京都市での避難生活が3年を過ぎたころから、明智真実(まみ)さん(57)は、夫が1人で暮らす福島県いわき市の自宅に帰還するか悩むようになった。

 2011年3月、当時高校3年だった長女礼華(あやか)さん(28)と中学2年の次女を連れ、山科市営住宅(山科区)に身を寄せた。仕事の都合で自宅に残った夫に電話すると、家事に手こずる様子が伝わり、心苦しくなった。自宅近くで独居生活を続ける実母のことも心配だった。

 「いつまで家族を放っておくの」。知人の何気ない一言が心に突き刺さった。だが、避難生活を続ける自分たちに、夫も実母も文句を言わなかった。

 「自分だけが安全な所にいてごめん」

 心の中で何度も頭を下げた。

 ■「自主避難者」県データに含まれず

 家計はぎりぎりの状態だった。日々のパート代は福島への帰省費と食費に消え、貯蓄を切り崩した。経済的負担に耐えかね、16年春、いわき市に帰還した。原発事故がなければ、不要な費用ばかり。しかし、避難指示区域外の住民が事故後に東京電力から受け取れた賠償金は、妊婦と18歳以下の子どもが40万円、それ以外の住民は8万円にとどまった。

 「放射能が身体にどんな影響を及ぼすか分からない。家族みんなで県外に避難できるならそうしたかった。家計に余裕があれば、ずっと京都にいたかった」

 国は除染による放射線量の低下を理由に、14年から順次、避難指示区域11市町村の全域または一部を解除した。道路や上下水道などインフラ整備も進み、全国各地に避難した人たちが徐々に故郷への帰還を果たしている。

 福島県が公表した今年2月時点のデータによると、11市町村に住民登録する4万7727人のうち、3割超の1万6303人が元の居住地に戻った。ただ、真実さんをはじめ、避難指示区域外から県外に逃げた人たちは「個々の判断で自主的に避難した」(県避難地域復興課)として、県のデータに含まれていないのが実情だ。

 「いくら人が戻っても、かつてのようなにぎわいや雇用はない。国や県の『自主避難者は勝手に避難した』という主張もあまりに乱暴だと思う」

 福島では今も、ニュース番組の天気予報で地域ごとの放射線量測定値が報じられる。学校や公園に置かれている放射線監視装置(モニタリングポスト)が目に入ると、どうしても気が滅入る。

 「月日がたって放射能への意識が薄らいでも、線量を目で見ると事故は現実なんだと思い出す」

 19年10月には台風19号が東日本を直撃。近所の川が氾濫し、自宅が床上浸水した。新型コロナウイルスの影響を受けて修繕工事は滞り、1階の仏間は今も畳や床板を剥がしたままだ。

 自宅が大きな被害を被るのは、東日本大震災に続き、2度目のこと。自然の恐ろしさをあらためて突きつけられると同時に、やりきれない思いが募った。

「私たちが安心して、安全に暮らせる場所はどこにあるんでしょうか」