震災2カ月後にシンガー・ソングライターの七尾旅人さん(中央)らと被災地の福島県南相馬市を訪れたレイ・ハラカミさん(左端)=撮影・梅原渉

 東日本大震災・東京電力福島第1原発事故から約4カ月後に40歳で急逝した京都の電子音楽家、レイ・ハラカミさんは「被爆2世」だった。「宿命」を背負う者として被災地に特別な思いを寄せていた。「震災が起きてから、彼の気持ちがかなり疲弊していく様子が感じられたので、これは何とかしなくちゃいけないと、京都まで会いに行ったんですよ」。米ニューヨークに住むシンガー・ソングライターの矢野顕子さんは取材に対し、ハラカミさんと最後に会った時のことを明かした。(THE KYOTO 樺山聡)

■「yanokami」で制作のさなか

 ハラカミさんの音楽を「世界遺産」と高く評価する矢野さんは、ハラカミさんと2人組のユニット「yanokami」(やのかみ)を結成していた。京都とニューヨークでインターネット電話などでやりとりしながら2枚目のアルバムを制作していたさなかに、2011年3月11日の東日本大震災が起きた。

 矢野さんが京都を訪れたのは、それから間もない頃だったという。

 JR京都駅ビル2階の喫茶店で矢野さんはハラカミさんと向き合った。「パフェを食べながら。2~3時間は話し込んだんじゃないかな」

 広島県出身のハラカミさんは母が被爆者で、それでも元気に暮らしていると以前から語っていたという。

 「原発事故で多くの人たちが、ほかの地域に引っ越ししなくちゃいけなくなっているのを一番気に掛けていました。『被爆2世でもこんなに丈夫で、うまい酒が飲めている。不安に負けないでほしい』と言っていました」

■原発事故、重い空気で苦悩

 津波で奪われた多くの命、目に見えない放射能汚染の恐怖と不安…。未曽有の災害に襲われた当時、被災地以外でも「こんな時に音楽をやっている場合か」という重い空気が漂い、ミュージシャンの間にも閉塞感があった。

 その中でハラカミさんは人一倍もがき、苦しんでいるように見えたという。

 「彼をどうやって励ましたらいいのか考えながら、いろんな言葉を掛けて、『こういう時こそ音楽が必要だと思う』『自分を自分で奮い立たせなければならない』と話し合いました」

 しかし、アルバムの完成を見ずにハラカミさんは11年7月、他界した。脳出血。「震災のストレスが彼を追い込んだ」。そう語る仲間もいる。

 「被爆2世」の宿命を背負った音楽家として、彼は震災にどう向き合おうとしていたのか。 (「ラジオでの告白 “天才”レイ・ハラカミの遺言」につづく)