愛知県大府市の認知症条例を記念するモニュメント前に立つ高井隆一さん。最高裁判決を受け、全国に先駆けて条例が制定された

愛知県大府市の認知症条例を記念するモニュメント前に立つ高井隆一さん。最高裁判決を受け、全国に先駆けて条例が制定された

JR共和駅の事故現場。良雄さんはホームからフェンスを開け、写真左の階段から迷い込み、線路上ではねられたという(愛知県大府市)

JR共和駅の事故現場。良雄さんはホームからフェンスを開け、写真左の階段から迷い込み、線路上ではねられたという(愛知県大府市)

認知症鉄道事故訴訟のポイント

認知症鉄道事故訴訟のポイント

最高裁判決の3カ月後、京都市内の講演で演壇に立つ高井隆一さん。家族だけでなく、認知症の人も立ち上がって拍手を送った(2016年6月、京都市中京区・立命館大朱雀キャンパス)

最高裁判決の3カ月後、京都市内の講演で演壇に立つ高井隆一さん。家族だけでなく、認知症の人も立ち上がって拍手を送った(2016年6月、京都市中京区・立命館大朱雀キャンパス)

 2007年12月に認知症の高齢男性が電車にはねられて亡くなり、遺族が鉄道会社から高額な損害賠償を請求された訴訟は、最高裁判決で遺族が逆転勝訴した。家族だけが責任を抱えなくてもいいとの初の司法判断で、地域で自分らしく暮らし続けたい認知症の人を勇気づけた。判決から3月で5年、その意義と課題を探った。

■「はねられたらしい、急いで帰ってきて」

 日が落ち、辺りは暗くなり始めていた。2007年12月7日午後5時ごろ、愛知県大府市。高井隆一さん(70)の父良雄さん=享年(91)=がデイサービスから帰宅して間もなく外へ出ていった。同居の母がうたた寝した、わずか6、7分の間だった。

 隆一さんは東京都内の勤務先で、大府市に住む妻からの電話を受けた。取り乱した様子が伝わってきた。「(良雄さんが)JRの駅構内で電車にはねられたらしい。急いで帰ってきて」

■一審名古屋地裁は、高額賠償を認める判決

 良雄さんは認知症があった。所持金はなかったが、最寄り駅の有人改札をすり抜けて電車に乗り、一つ先の共和駅のホームに降り、フェンスの扉を開けて線路に入った。トイレを探して迷い込んだとみられている。

 一審名古屋地裁は13年、母の居眠りは過失にあたり、介護方針を決めていた別居の隆一さんも監督義務があったとして、2人にJR東海が請求した振り替え輸送費など約720万円全額の支払いを命じた。

■家族はできる限りのことをしたのに

 家族は外出を繰り返す良雄さんの気持ちを尊重し、行方不明までにはならないよう、できる限りのことをしてきた。

 隆一さんはほぼ毎週末、横浜市から新幹線で実家に帰り、良雄さんが満足できるまで散歩に付き添った。隆一さんの妻は介護のため単身で大府市に住み、外出する良雄さんの後に付いて見守った。母は当時85歳で要介護1だったが、玄関の出入りを知らせるチャイムを枕元に置き、深夜でも注意を払った。

 隆一さんは、良雄さんが自室の机から長年愛用する文具を手に取り、初めて見たような表情をするのを見た。「自宅での記憶が薄れ、落ち着かないから『家に帰ります』と外に向かおうとする」。父の苦悩に寄り添おうとした。

■JR東海は「甘え」と非難、時代遅れの司法

 しかし、そんな家族の懸命な努力が司法の場で否定された。一審でJR東海側は、良雄さんの衣服に名前と連絡先を縫い付けていたことを挙げ、「行方不明時に第三者の好意に期待するのは単なる甘え」と非難までした。

 JR東海が強気の姿勢を貫いた背景に、責任能力のない人が他人に損害を与えた場合は家族らの弁済が当然とする当時の司法の「常識」があった。二審名古屋高裁は母に約360万円の支払いを命じた。隆一さんを外して支払額を半額とした判決を、法曹界は「介護の大変さも配慮して知恵を絞った」と評価までした。

 当時、認知症の人たちは自らの思いが尊重される社会を願い、実名を公表して声を上げ始めていた。厚生労働省も12年の報告書で「認知症の人を疎んじたり、拘束するなど不当な扱いをしてきた」と現状を批判的に振り返り、認知症の人たち自らの意志による新たな取り組みを後押しした。

 時代遅れの司法。「家族が責任を問われるなら、家に閉じ込めておくしかないということか」。司法への怒りが隆一さんを「負けて当然」の裁判に挑ませた。

■最高裁判決、社会に一石投じる

 16年3月、最高裁はJR東海の請求を棄却した。認知症の人による事故で、防ぎきれないものまでは家族が責任を負わないとする初めての判断。この判決を受け、認知症の人による事故の保険商品が広がり、公費で保険料負担する自治体が増えていった。

 訴訟は、認知症の人の介護を家族だけに抱え込ませてきた社会の現状に一石を投じた。

■いつか、あなたも認知症になるかも。だから支え合おう

 隆一さんは、父が事故に遭わずに済んだ可能性はゼロではなかった、と今も思う。近所の人たちも良雄さんの状態を知っていた。良雄さんが日課だった自宅前のごみ拾いをしていると、いつもあいさつをしてくれていた。あの日、もし近所の人と出会っていたら、いつもとは逆方向を歩く良雄さんに「そっちは違うよ」と話し掛け、止めてもらえたのではないか。

 地域で本人や家族を手助けする「認知症サポーター」は最高裁判決から5年で7割も増え、1300万人が目前だ。今なら父が駅構内に迷い込んでも、乗客が父の名札を見て声を掛けてくれるかもしれない。

 「いずれ自分も認知症になるかもと考えて、目の前の人を見守り、社会全体で仕組みを整えて備える。その意識が広がれば、地域で支え合う優しい世界が開かれていくはずだ」