太田喜二郎「樹陰」 1911年

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 1945年8月、大礼記念京都美術館(後の京都市美術館)は23日まで「在住作家作品常設展」を開いた。終戦の15日も開催中だった。44年9月から45年3月まで同館は気球爆弾の製造工場として使われていたが、本館2階などで展覧会を続けた。終戦直後の45年11月には第1回京展が開幕。46年から52年まで事務所以外の建物と敷地が米軍に接収されていた間も、事務所2階で「独立美術京都作家展」「走泥社展」などを開いた。

 「京都ってそんな場所。危機に際しても日常は流れる」と同館学芸係長の中谷至宏さんは言う。どんな時も展覧会を絶やさない姿勢は現在までつながる。

 2020年、改築による休館を経て、京都市京セラ美術館の名で再開館した。重視したのは「元の建物に敬意を払い、どのように見せるか」だ。狙いは奏功し、再開館後は建物を目当てに訪れる人が増えた。らせん階段などで撮影する人も絶えない。入館時にいったん地下に降りる構造になり、歴史ある外観にも目が行きやすくなった。

 再開館を飾った「京都の美術 250年の夢」展は、コロナ禍で短縮したため、江戸時代の円山応挙から現代作家の金氏徹平(1978~)までの作品が一挙に並んだが、むしろプラスになったと中谷さんは言う。応挙を見に来た人が現代美術も楽しみ、現代美術のファンは歴史的な流れに触れたからだ。

 館は「京都の美術を一続きに見せたい」という思いから、それまで明治後期以降を対象としていた作品収集方針を「江戸後期の美術・工芸も視野に入れたコレクション形成」と改めた。「250年の夢」展ではそれが明示されたことになる。

竹内栖鳳「絵になる最初」 1913年

 再開館によるもう一つの変化は、所蔵作品の展示場所を常設化したことだ。初年度は春夏秋冬で100点ずつ、計400点を並べた。それでも全体の10分の1ほどだが、竹内栖鳳「絵になる最初」、上村松園「待月」、太田喜二郎「樹陰」など名品を目にできる機会が増えた。

上村松園「待月」 1926年

 「杉本博司展」など現代美術展も人気だ。貸し会場の役割もある。「一つの器の中で多様な表現が展開されるのが日本の美術。改装で注目されれば課題もみつかる。館がどうあるべきかも見えてくる」と中谷さんは考えている。

 

 京都市京セラ美術館 1933年開館。所蔵作品のうち太田喜二郎「樹陰」は西洋絵画から学んだ成果を生かしつつ、筆先に東洋的な味わいがあり、木陰の心地よさや楽しげな会話など日本人画家らしい情緒性もよく表れている。竹内栖鳳「絵になる最初」は、人体を西洋的な立体で描くのではなく、平面的なかすりの着物で覆う。モデルになる女性の恥じらいを題材にしつつ、その心理を露出せず、手の表情などで上品に示した。上村松園「待月」は、透明感ある描き方やすきのない構図に気構えが表れたレベルの高い作品。京都市左京区岡崎円勝寺町。075(771)4334。