桐の野立弁当箱。中塗りは朱、外は白木のまま仕上げ、全体が一つに収まる。数世代を経ているが白木に汚れはなく、丁寧に使われたことが分かる

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 辯當(べんとう)(弁当)は、1603年の日葡(にっぽ)辞書で「文房具に似た一種の箱で、ひきだしがついており、食物を入れて携行する」と紹介されている。近世の絵画には、花見など屋外の遊楽で重箱に入った料理が描かれる。

 お辯當箱博物館(京都市東山区)は元禄年間創業の老舗、半兵衛麸(ふ)の本店2階に2006年開館し、代々伝わる弁当箱などを展示する。11代当主の玉置半兵衛さんは「花見や紅葉狩りなど季節や目的に合わせた弁当箱があった。その豊かな文化を見てほしい」と話す。

 ホタル狩り用の弁当箱は、ふた全面に蒔絵(まきえ)で夏草を描き、螺鈿(らでん)で表現したホタルをちりばめた。宵闇の中、本物のホタルのように光ったことだろう。

 夏用の弁当箱は蒸れないよう重箱を竹かごにして通気性を良くした。格子やかごめなど、段ごとに編み方を変えている。

茶の湯の茶釜に似せた弁当箱。上半分は酒器で、ふたの部分に杯や皿を収納する。下半分におかずなどを詰める

 外箱が将棋盤や双六(すごろく)になる遊び心に満ちた弁当箱もある。茶釜そっくりの弁当箱は、酒宴を期待する参加者に、お茶会と見せかけ、箱を開くと酒と料理が登場する趣向だ。「遊び心を尊ぶ旦那衆のために、職人はアイデアと技術を尽くした。双方が楽しむ中で文化が磨かれた」と玉置さんは言う。

茶釜形の弁当箱を開いたところ。下半分の重箱に料理を詰め、上部は酒器になっている。杯や皿は釜のふた部分に収納する

 実用品としての弁当箱も数多い。山や野良仕事用の弁当箱は持ち歩きやすいよう、腰にぴったり合う形だ。戦場で使われた弁当箱は、外箱に入った10人分ほどの個別容器にご飯を詰め、大きめの器に入れたおかずを皆でつついた。敵将の首を取った時、中の容器を全て出して、外箱を首入れに使ったという。

軍陣で使用された弁当箱。10人分ほどを賄った。敵将の首を運ぶのにも使ったという

 玉置さんが一番好むのは桐(きり)製の白木の弁当箱だ。中の容器が外箱にぴたりとはまり、とても軽い。内部は朱塗りで実際に使われたが、白木に汚れはなく大切にされていたことが分かる。

 玉置さんには忘れ難い思い出がある。戦後の食糧難の時代、父が蒔絵の弁当箱を風呂敷に包み、東福寺へ紅葉狩りに出かけた。小学生の玉置さんは弁当が楽しみだったが、中にはいもが2本入っていただけ。「紅葉狩りはお弁当やなく自然を見るもんや。戦争があっても自然は変わらへん」とたしなめられた。

 「お弁当箱には食べ物と一緒に思い出も詰まっている。それを思い出してもらえたら」と玉置さんはほほ笑む。

 

 お辯當箱博物館 食文化の一端を伝えることを目的に、家に伝わったものや当主が好んで集めた江戸時代の弁当箱を展示。宮中で使われたものから庶民の日常使いまで多彩だ。一人用の弁当箱を集めた一角もあり、陶製の小さな重箱など、使った人の楽しみが伝わる。玉置家は代々、石門心学に親しみ、正直や勤勉、倹約などの精神を説いてきた。使い捨て容器全盛の現代に「昔のお弁当箱は、使った後は丁寧に洗って陰干しした。物を大切にする心も見てもらえたら」と玉置さんは話す。京都市東山区問屋町通五条下ル。075(525)0008。