閉店したエディオン寺町店(3月1日、京都市下京区)

閉店したエディオン寺町店(3月1日、京都市下京区)

1997年当時の寺町通。当時の記事は「買い物客もまばら」と伝えている(京都市下京区)

1997年当時の寺町通。当時の記事は「買い物客もまばら」と伝えている(京都市下京区)

2005年当時の寺町通(京都市下京区)

2005年当時の寺町通(京都市下京区)

寺町通を出て店を続ける高橋電気の高橋社長(京都市下京区)

寺町通を出て店を続ける高橋電気の高橋社長(京都市下京区)

 かつては東京・秋葉原、大阪・日本橋と並んで電気街として知られたのが、京都の寺町通だ。大小さまざまな電器店が軒を連ね、家電やAV機器を買い求める客でにぎわったが、それも今は昔。全国クラスの大型店や郊外店との競合激化でこの20年ほどで閉店や撤退が相次ぎ、そしてこの2月末、とうとう唯一残った大型店が閉店した。電気街の移り変わりについて、地元の人たちに聞いた。

 閉店したのは、京都市下京区のエディオン寺町店。かつては地場資本の「タニヤマムセン寺町本店」だったが、2011年に家電量販大手エディオンとフランチャイズ契約を結び、「ミドリ寺町店」に名称変更。その後、エディオン寺町店と改称した。売り場は5階まであり、延べ面積は2080平方メートルと寺町通随一の大型店だった。

 エディオン寺町店が閉まった今の姿から想像するのは難しいかもしれないが、かつての寺町通は電器店や電子部品を売る店が軒を連ねる典型的な電気街だった。

 「昔はランプを扱う関係からガラス店が多かったと聞いている。戦後になって電器店が増えた」。そう語るのは、寺町通で創業して約60年の電器店、高橋電気(下京区)の高橋進社長(70)だ。「寺町通の電器店は人と人の距離が近く、来店客ともよく話をした。電器店は青果店や鮮魚店の延長にあるような『お店』だった。電器店同士で近所づきあいもあった」と懐かしそうに語る。

 高橋社長によると、寺町通が最も活況を呈したのは30年ほど前のバブル期。「タニヤマムセン、ヒエン堂…。それぞれのお店が毎年100人単位で新卒採用していました」。このころにはニノミヤや中川ムセン、上新電機といった大阪発祥の電器店も寺町通に出店し、互いにしのぎを削っていた。

 転機は2000年代半ば。折からの不況のあおりで大阪系の電器店は寺町通から次々に撤退。通りからは活気が失われていった。

 さらに2007年、寺町通から南へ約2キロ先の京都駅前に全国展開するビックカメラが出店。2010年にはヨドバシカメラも京都駅前の百貨店跡に大型店を出し、寺町通から客を奪っていった。

 高橋社長は「このころにはもう寺町通の電器店街は『死に体』だった」と語る。電器店は次々とテナントビルに変わっていき、「潮時と感じた」という高橋社長も、寺町通の店舗をテナントとして貸し出す決意を固めた。社員と長年の常連客を守るため、店を寺町通から約200メートル離れた場所に移した。

 そして最後まで残った寺町通の大型電器店が、エディオン寺町店だった。

 エディオンIR広報部は寺町店の閉店について「ドミナント戦略(出店戦略)の一環」と説明。4月に寺町通からほど近い四条河原町南東角の旧京都マルイに新店舗を構えることとの関連を示唆した。

 高橋社長は「寺町通は生まれ育った場所で思い出が詰まっている。エディオン寺町店がなくなり、最新の情報を仕入れるのに不便になる」と残念がる。

 地元の開智学区自治連合会の薮下清二会長(81)は寺町通の変化について「商店街が変化していくのは仕方がないとはいえ、寂しさはある」と惜しみ、「地元住民としては風俗店などが増えるのはやめてほしいと思う」と先行きを心配した。