TASKが建立した「安全の碑」(甲賀市信楽町黄瀬)

TASKが建立した「安全の碑」(甲賀市信楽町黄瀬)

信楽高原鉄道事故とTASKの経過

信楽高原鉄道事故とTASKの経過

 1991年5月に死者42人を出した信楽高原鉄道事故を機に、遺族が中心となって設立した「鉄道安全推進会議(TASK)」(事務局・兵庫県明石市)が6日までに、解散する方針を固めた。

 「事故に奪われた命はかえってこないが、犠牲は将来に生かすことができる」。信楽高原鉄道事故で犠牲になった京都の遺族らが願い、立ち上げた民間団体「鉄道安全推進会議(TASK)」は、公共交通事故調査に変革を促し、事故遺族のネットワーク作りにも尽くしてきた。悲しみと苦しみを昇華し、四半世紀続けてきた活動に今夏、区切りをつける。

 TASKは事故から約2年後の1993年8月、当時26歳だった娘を亡くした初代会長の故臼井和男さんが暮らす京都市で発足した。事故の責任を追及する活動とは一線を画していた。鉄道会社とも協力して、再発防止に反映させることを最終目標に掲げ、公平で独立した鉄道事故の調査機関設置を国に求めた。

 変革の道のりは長かった。当初から関わる弁護士の佐藤健宗事務局長(60)は「国の制度を変えるハードルは高く、実現するとは思えなかった」と手探りでのスタートを振り返る。

 中心メンバーは、手弁当で欧米の事故調査機関を訪れ、独立機関が徹底的に分析する事故調査を目の当たりにした。運輸相(当時)らに、何度も独立調査機関の設置を要望。地道な取り組みが実を結び、法改正により2001年10月に航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委)が設置された。事故から10年の月日が流れていた。

 「事故遺族が中心となった立法運動はそれまでなく、画期的だった。鉄道の安全という当初の目的は達成でき、社会的な役割を一定果たせた」と佐藤事務局長。

 他の事故遺族の支援にも取り組んだ。現在、共同代表を務める下村誠治さん(60)=神戸市=は、01年の明石歩道橋事故の遺族で、2歳の次男を亡くした。TASKから励まされ、肉親を奪われた苦しみを共有し、前に進んできた。「一遺族、一つの事故の関係者だけでは難しかった被害者支援ネットワークの礎となった。信楽事故遺族の遺志を背負い、よりよい支援制度の実現に向けてできることを継続したい」と話す。