きょうは「文字・活字文化の日」。議員立法で振興法が成立し、「学校教育における言語力の涵養(かんよう)」が目的の一つにうたわれるが、気になることがある。

 高校の国語教科書が変わることへの懸念の声だ。文学の授業が減ってしまうのでは-。

 日本文芸家協会が声明を出し、雑誌「文学界」が「『文学なき国語教育』が危ない!」という特集を組んでいる。小説家や評論家、文学研究者らが反発するのは、2022年度実施の新学習指導要領で、高校の国語のあり方が大幅に変えられようとしているからだ。

 実用に役立つことを重視する方向が打ち出されている。科目が見直され、必修の「国語総合」は「現代の国語」と「言語文化」に分かれ、選択は「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探求」となる。

 この中で「現代の国語」と「論理国語」「国語表現」が実社会・実生活に必要な言語能力を育てることを目的にしており、国語改変の目玉といえよう。

 一方で、小説や詩、評論などは「文学国語」に集約される。大学受験を考えて「論理国語」の方が選択されやすいとの見方もあり、高校の間に文学作品を読む機会が減りかねない。

 教科書の定番といわれる夏目漱石「こころ」や中島敦「山月記」のように、多くの人が一度は読む名作がなくなれば、寂しい限りだ。

 では、実用重視の国語とはどんなものか。

 17、18年度の大学入学共通テストの試行調査が先生らを驚かせた。架空高校の生徒会規約や著作権法の条文が出題されたからだ。実用文を的確に読み取る力をみる問題という。

 また、新指導要領でも会議録や取扱説明書、企画書などが例示されている。およそ国語のイメージとかけ離れている。

 国語改変のきっかけは、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)ショックだ。読解力の国際比較で03年に14位に急落したことで、改善が喫緊の課題となった。

 全国学力テストでも、文章の主語、構成を理解し、根拠をもって書く力に欠けることが課題として指摘されている。

 教科書が読めない子どもたち、と嘆く声を聞く。読解力は社会に出て役立つというだけでなく、人生を豊かにする上で欠かせない。取扱説明書を読ませて済むのか。それに学習意欲が出るだろうか。

 私立灘中・高の故橋本武先生は中勘助の小説「銀の匙(さじ)」を3年かけて読む授業で知られた。精読だけでなく、横道にそれて調査や観察、追体験などで深く読み解く力を養ったという。

 文庫本1冊と毎回のプリントで、論理的思考に導き感性を刺激している。何よりも、明治期の読みにくい文学世界なのに、次第に生徒たちが入り込んでいったことがすばらしい。

 真の読解力は人間への洞察が伴うのではないだろうか。ならば、教室の先生の力が問われることになる。多感な時期の生徒たちには多くの文学に触れてもらいたい。文字の世界を楽しむ心が育ってほしい。