「今日は買い物ツアー」と記されたチラシに、高齢者が表情を緩めた。

 行き先は街のスーパー。車に乗り合って出かけ、食品や日用品など、好みのものを買い込み、またみんなで戻って来る。

 岩手県大槌町の地域福祉事業所「ねまれや」が、高齢者らを対象に定期的に行っている取り組みの一つだ。

 2011年3月11日、大槌町の市街地は東日本大震災の大津波と火災でほぼ壊滅し、人口の8%にあたる1200人以上が亡くなったり、行方不明になった。

 「ねまれや」は、震災によって家族やつながり、生きる意欲を失いかけた人たちの居場所をつくろうと、震災から5年後に始まった。

 スタッフたちも震災で仕事や家族などを失った人たちだ。事業は自分たちの「仕事づくり」の意味もある。

 学童保育からスタートしたが、今では高齢者や障害者の通所介護サービス、菓子づくりなどにも幅が広っている。

 「共助」の試み広がる

 東北の被災各地で、被災者による共助の取り組みが始まっている。

 それを記録したドキュメンタリー映画「Workers(ワーカーズ) 被災地に起(た)つ」が静かな共感を呼び、全国各地で上映会が開かれている。

 「ねまれや」で所長を務める東海麻奈実さんの言葉が印象的である。

 「(震災で)人口は減ってしまったが、困っている人は減っていない」「むしろ、大変な状況を抱えた人が残っている」

 東海さんらはこの状況を悪く捉えていない。お互いを否定せず、どんな困難を抱える人も互いに受け入れる。震災という共通の困難に直面した者同士だからこそ、支え合えると信じている。

 大震災から8年が経過した。政府による「復興・創生期間」は2年後の20年度末で終了する。

 大規模な復興事業が終わった後、地域の被災者がどのように支え合っていくのか。被災地では、改めて重要な課題として浮上している。

 支援から脱して、自らの足で立ち上がろうとする被災者は少なくない。そうした人たちを応援することが、京都や滋賀に暮らす私たちにも求められている。

 仮設住宅に千人以上

 そのためにも、被災地にまだ残る深刻な現実を直視する必要がある。

 住宅問題もその一つだ。被災地では今も多くの人が仮設住宅に暮らす。

 岩手、宮城、福島の3県17市町では、4月以降も597世帯、1300人がプレハブ仮設住宅に残る見通しだ。自治体が民間賃貸住宅を借りて被災者に提供する「みなし仮設」も約2300世帯が残る見通しという。

 学校の敷地などに建てられた仮設住宅は解消されたが、その分、交通の便が悪い地域に集約されている。被災者の間に「取り残された」という感覚を生んでいないか、気になる。

 国は岩手、宮城の両県で20年度末までに仮設住宅を解消させる方針だが、収入や人間関係などの理由で仮設住宅から出られない人も少なくない。

 一方、建設が進んでいる災害公営住宅では、高齢者の孤立が問題になっている。

 いずれも阪神・淡路大震災などで教訓や重要な課題となってきた問題だ。なぜこれまでの経験を生かせていないのか。

 原発事故の影響続く

 東京電力福島第1原発の周辺では10市町村で避難指示が解除された。原発事故によるこの地域からの避難者は約2万4000人だったが、帰還率は10~50%にとどまる。

 しかし、実際に戻って暮らしている人はもっと少ないのが現実ではないか。

 10市町村の小中学校28校では、児童・生徒数が事故前の約11%に減っている。避難指示が解除されても、戻っているのは高齢者が多い。

 原発周辺には商店や病院がなくなってしまい、戻ろうにも戻れない。

 放射能汚染度の高い住宅の解体が国負担で進められたため、そもそも帰る住宅がないという問題もある。

 避難先で住宅を建設、購入する人が増えているが、国はこうした人たちを避難者として数えていない。このため、避難者が減っても帰還者は増えないという結果になっている。

 ただ、多くの人は避難しても、避難先の自治体に住民票を移していない。避難先に家を新築した人の多くは、いつかは戻りたいと考えている、という民間の調査結果もある。

 こうした人たちや、その子どもの世代は、将来の地域復興の担い手になるはずだ。気持ちをふるさとにつないでおいてもらう必要があろう。

 住民登録で特例を設けるなど、工夫や手立てが必要ではないだろうか。