自宅で、妹の松村幸姫さんの写真を前にする兄の中江龍生さん(京都市伏見区)

自宅で、妹の松村幸姫さんの写真を前にする兄の中江龍生さん(京都市伏見区)

 京都府亀岡市で集団登校中の児童らに無免許運転の車が突っ込み10人が死傷した事故は23日で発生から9年となる。「事故で止まったままの時間と、その後のいろいろな人と出会ってきた時間。あの日から、僕の中で時の流れは引き裂かれている」。妊婦だった妹の松村幸姫(ゆきひ)さん=当時(26)=を失った中江龍生(りゅうき)さん(37)は惨劇の記憶を胸に講演活動する一方、建設業界で働き続けている。交通事故遺族として、あるいは道路管理などに関わる職業人として、葛藤を抱きつつ過ごしてきた。

 笑顔で舌を出した幸姫さんの写真が、テレビのそばに置かれている。京都市伏見区の中江さんの自宅。「僕がいちばん多く過ごすのがテレビの前だからここに据えた。忘れないために」。歳月の流れは残酷だ。「もう妹がどんな声だったか思い出せないんです。記憶の薄れはどうしようもない」。生前の妹の姿をしのばせるもので唯一、手元に残っているのが写真だという。

 仲の良いきょうだいだった。月に1度は食事をした。事故の3日前にも電話し「おなかの中の赤ちゃんは女の子」と教えてもらった。家族としてのつながりを確かめつつ、新しい命の誕生を喜び合う。そんな「当たり前の時間」は突然、断ち切られた。

 事故以来、悪質な運転の厳罰化を求めた署名運動や、遺族の思いを伝える講演で慌ただしく過ごしてきた。関係者から受け取った名刺の数はファイル1冊では収まらず、数百枚に達する。濃密な交流を重ねてきた9年だったが「ほとんどの人とは事故がなければ出会わなかった」という思いもよぎる。胸中は複雑だ。

 一方で、遺族も働かなければ生活できない。中江さんは、高校卒業から続けてきた建設業の仕事に今も携わっている。勤務先で事故のことを語ることはなく、「職業人」としての日々を送る。

 仕事には愛着を抱いている。「人が使う道路や橋を作ったり管理したりすることにやりがいがある」。事故前から変わらず抱き続ける思いだ。ただ、道路を通るのは車。「つらいものがありますね」

 月に1回程度、交通事故が起きた現場の残骸処理なども担う。「避けては通れない作業。きついですよ」。そうした思いを職場の同僚と共有できるはずもない。そんな時、「自分だけ別の世界に生きている感覚が強まる」という。

 交通事故遺族として活動しながら、道路管理などに関わる日々。容易に他人と分かち合えない気持ちに苦しんできた。ただ最近は「僕自身が周囲に壁を作っているのでは」と感じる時もある。自身の葛藤をどう受け止めて人生を歩めばよいのか。まだ答えは見いだせていない。

 今月18日には事故現場を訪れた。毎年の命日だけでなく、折を見て来るようにしているという。「ここから9年が始まった」。中江さんが幸姫さんが倒れていた場所にしゃがみ込んで語った。日曜の午前だが、現場のそばは車が行き交う。「交通量の多さは、ずっと変わりませんよね」