豊臣秀吉が築いた初期伏見城(指月(しげつ)城)跡を巡り、京都市による5年間にわたる発掘調査の総括報告書がまとまった。かつて実在が疑われた城だったが、方形の外郭線と範囲、城内部に複数の堀があったことが考古的に見定まり、最中心部の天守の立地も推認されつつある。だが、報告書には三つの復元案が併記されるなど、未確定の要素も多々。単なる「太閤隠居所」にとどまらなかった城構えは全貌がいまだ見えない。