夫の継男さんが撮りためた作品を収録した「四季の彩―遺作集」。江口さんが供養の意味も込めて自費出版した

夫の継男さんが撮りためた作品を収録した「四季の彩―遺作集」。江口さんが供養の意味も込めて自費出版した

江口洋子さん

江口洋子さん

 「四季の彩―遺作集」と題された写真集がある。ページをめくると、生命感に満ちた草花の輝きが目にまぶしい。

 江口洋子さん(86)の夫、継男さん(1991年6月、46歳で死去)はカメラが大好きだった。休日になると、仲間とともに撮影機材を抱え、京都の大原や滋賀の朽木をはじめ、近畿各地を飛び回った。美しい風景が撮れるタイミングで体調を崩すと、心の底から悔しがった。写真集は、江口さんが夫の死後、供養の意味も込めて自費出版した。あとがきにこう書いた。

 「生きることの厳しさを一番思い知らされながら、生きたいと願い、その時々を大切に写真を撮ったのだと思います」

 別れは突然だった。

 91年6月23日夜、仕事から帰ってきた夫が大量の血を吐いた。緊急時は主治医のいる大学病院が対応をしてくれることになっていたが、電話をすると「満床で対応できない」と断られた。救急車で最初に運ばれた地元の病院では手に負えず、隣町の救命救急センターに転送された。

 当初は夫にも意識があった。担架に横になりながら、江口さんの名前を呼んだり、手を伸ばしたりしてきた。江口さんは「ここにいるよ」と返事し、差し出されたその手をぎゅっと握った。

 だが、救急センターに到着する頃には、心肺停止を起こすほどに容体が悪化していた。すると、今度はどういうわけか、当初受け入れを拒否した大学病院に搬送されることになった。救急センターと大学病院は自宅を挟んで正反対に位置し、119番からすでに2時間が経過していた。

 江口さんは釈然としないまま、大学病院の医師から病状説明を聞くことになった。夫が意識を取り戻すことはなく、2日後、息を引き取った。その体は血友病治療を通じ、エイズウイルスのみならず、C型肝炎ウイルスにもむしばまれていた。死因は、肝硬変悪化に伴う食道静脈瘤(りゅう)破裂だった。