かつて嵐山にあったタレントショップ。修学旅行生の列ができていた(1989年5月撮影、京都市右京区)

かつて嵐山にあったタレントショップ。修学旅行生の列ができていた(1989年5月撮影、京都市右京区)

現在の嵐山の街並み。派手な看板は消え、落ち着いた雰囲気に変わった

現在の嵐山の街並み。派手な看板は消え、落ち着いた雰囲気に変わった

 髪をまっすぐに伸ばした「ワンレン」に、身体の線を強調した洋服「ボディコン」姿の女性が京都の街を行き交い、日経平均株価がうなぎ上りだった1988年。京都新聞の紙面にこんな見出しが躍った。

 「タレントの店花盛り」(5月29日朝刊)

 記事は、京都市の嵐山(右京区、西京区)にタレントショップの出店が相次いでいると伝えた。「中之島公園の一角にオープンした五木茶屋」「ビートたけしさんのカレーの店」など4店舗を地図と写真で紹介、「ファンや観光客でにぎわっている」とある。

 「前年、たけしさんの『元気がでるハウス』が建ち、次々と増えた」と振り返るのは、嵐山商店街の元会長野田博さん(92)。それまで主に中高年の観光客に愛される静かな場所だったが、ショップの登場で一変。「若者や修学旅行生がこぞって訪れるようになった」

 世間はバブル景気に沸いていた。当時を知る人に尋ね回ると、映画の撮影で京都に来ていた芸能人と不動産関係者が親しく、出店につながったとの話を聞いた。それが爆発的に当たり、タレントにとって嵐山に店を持つことがステータスになったようだ。好景気に乗り、出店はさらにヒートアップ。91年には30店近くまで増え、全体の3割を占めた。

 ショップの乱立は、地域にひずみも生む。お笑い芸人やアイドルの派手な看板が、景観論争に発展。同年、渡月橋近くに芸人の似顔絵を描いた大型看板が掲げられ、商店主らの嵐山保勝会が撤去を求める事態になった。野田さんは「風情が壊れると反対する側と、にぎわいを歓迎する側と、まちに分断が起きた」と明かす。

 そんな騒ぎもバブル崩壊とともに、陰りを見せる。「タレントショップ 嵐山、ブーム去る冬 京みやげ店へ転身も」(93年12月16日夕刊)。「松方弘樹、山田邦子、タモリ、森口博子ら人気タレントの店が続々登場」したが、「最近、バタバタと店じまいが目立つ」と、最盛期からわずか2年後、3分の2に減ったと報じた。2000年ごろには大半が一般的な土産店や飲食店に戻った。

 タレントショップの盛衰は教訓も残した。若者を呼び込んだ半面、落ち着いた街並みを好む長年のファンを失ったという。嵐山商店街会長の細川政裕さん(59)は「見放された客を取り戻すのは大変だった。目先の利益だけを追う商売はダメだと痛感した」。

 経験が生きたのは外国人観光客が増え始めた2010年ごろ。商店主たちがマナー問題に取り組み、トイレの使い方を紹介する注意書を公衆トイレに張った。18年には、景観を維持するため、新規出店者と事前に協議ができるよう、市から「まちづくり協議会」の認定も受けた。キャラクターショップ出店の際、看板に目立つ色を避けるよう、話し合ったこともある。

 新型コロナウイルスの流行で、観光地にも変化が迫られる。「タレントショップは反面教師。時代が変化しても色あせない観光地を目指す」。細川さんは客が激減したまちをじっと見つめた。

■バブル景気と京都
1986年 「東洋一のディスコ」と称された「マハラジャ祇園」が開店
  89年 大津プリンスホテル(現びわ湖大津プリンスホテル)開業▽京都市営地下鉄東西線醍醐~二条間が起工
  91年 嵯峨野トロッコ列車が開業▽京都ホテル、高さ60メートルのビル着工
  93年 伏見信用金庫と西陣信用金庫が合併し、京都みやこ信用金庫に
  94年 嵐山に「美空ひばり館」が開業
  97年 北海道拓殖銀行、山一証券が経営破綻
2001年 京都証券取引所が大阪証券取引所に吸収合併