「薬害エイズ裁判 和解25周年記念集会」にオンライン参加した江口さん。タブレット端末に映し出された「誓いの碑」をじっと見つめた(3月27日、兵庫県西宮市)

「薬害エイズ裁判 和解25周年記念集会」にオンライン参加した江口さん。タブレット端末に映し出された「誓いの碑」をじっと見つめた(3月27日、兵庫県西宮市)

 薬害エイズ裁判の和解から25年を記念した集会が3月末、東京都内で開かれた。新型コロナ感染拡大の影響で被害者や遺族のほとんどは出席できず、式典の様子はライブ配信された。

 冒頭に映し出されたのは、厚生労働省玄関前の「誓いの碑」。かつて、遺族が「薬害根絶」の文字を入れるよう厚生省(当時)に求めたものの、かなわなかったモニュメントだ。薬害エイズ事件の遺族、江口洋子さん(86)は当時、碑に名前を付けること自体に否定的だった役人と対峙(たいじ)した原告の1人。映像にかつての苦難を思い起こした。

 江口さんは1991年に夫の継男さん=当時(46)=を亡くした半年後、係争中だった大阪HIV訴訟に参加した。「薬害事件の真相を明らかにしたい」。そんな思いとは裏腹に、裁判は原告を実名ではなく、番号で呼ぶ「匿名訴訟」の形で審理された。患者や家族への差別が苛烈(かれつ)な時代。江口さんも提訴の順番通り「34番」と呼ばれた。

 江口さん自身も、夫が薬害エイズ事件の被害者であることを隠していた。夫の実母や弟に真実を伝えたのも、提訴から3年が過ぎてからだった。「親しい人にも本当のことを言えなかった。言わなかったのではなく、言えなかったの」

 薬害HIV訴訟の原告団や研究者らが2001年~03年に遺族にアンケートしたところ、計307人の回答者の6割以上が「死因の病名を変えようとした」「病名を隠すようないいわけを考えた」と答えた。心的外傷後ストレス障害(PTSD)が疑われる遺族も半数超に上った。

 江口さんも夫の死後、手のしびれやじんましんに苦しんだ。転機が訪れたのは、裁判の和解から5年が過ぎた01年。心身に限界を感じ、神戸赤十字病院の心療内科を訪ねた時のことだった。

 医師は、災害などで家族を亡くした遺族に寄り添う「グリーフケア」の第一人者だった。江口さんは、命日が近づくたびに不安が増して涙が出てくる状況を説明し、つぶやいた。「まだこんなことを言っているなんて、情けないですよね」。すると、こんな言葉を掛けられた。