若者らでごった返す宇多野ユースホステルの受付(1961年5月1日掲載、京都市右京区)

若者らでごった返す宇多野ユースホステルの受付(1961年5月1日掲載、京都市右京区)

広い庭を利用し、少人数でたき火を囲む宇多野ユースホステルのイベント(今年3月、京都市右京区)=同ユースホステル提供

広い庭を利用し、少人数でたき火を囲む宇多野ユースホステルのイベント(今年3月、京都市右京区)=同ユースホステル提供

 緑豊かな京都市右京区に、静かにたたずむ宇多野ユースホステル(YH)。1960~70年代、全員参加のミーティングや飲酒禁止といった厳しい規則で縛られていたにも関わらず、若者に絶大な人気を誇っていた。

 開業から2年ほどたった61年5月1日の市民版は「連日超満員でうれしい悲鳴」との見出しで、ゴールデンウイークの盛況を報じた。予約は3月末時点で埋まり、「お断り」に職員が追われた。

 「ベッドの余裕があろうがなかろうがとにかく泊めてもらう。当方は旅行中なので返事は届かない」とのはがきを送りつけたり、YHに来て「『旅館へ泊まる予算がない』とダダをこね」たりする若者もいたようだ。68年度に職員となった井原秀隆さん(73)=同区=は「往復はがきで予約を受け付けたが、連日、100通くらいの束が届いた」と懐かしむ。

 「団塊の世代」が10~20代の時期。東大安田講堂事件が起こり、京都大の入試は学生の妨害を警戒して学外で行われるなど、学生運動が高揚していた。エネルギーに満ちあふれた若者はYHに集い、人生や政治について熱く語り合った。

 日本YH協会(東京都)によると、ピークの73年度に全国の宿泊者は340万人を超え、宇多野YHも72年度に5万2288人を記録。だが85年度には1万5955人に激減する。

 70年代後半から80年代の若者は無関心、無気力、無責任の「三無主義」とやゆされ、価値観の変化から「新人類」とも言われた。相部屋や厳しい規則は敬遠された。

 宇多野YHを運営する京都YH協会専務理事の高田光治さん(66)は「知らない人同士で何かをやる雰囲気が、個人主義化した若者にマッチしなくなっていた」。80年代後半以降、ミーティングを希望者のみの「ティータイム」に変え、飲酒も解禁。若者の好みに合わせる一方、国際化にも乗り出す。

 YHの世界的なネットワークを生かし、外国人客を呼び込んだ。89年の韓国の海外旅行自由化も追い風で、宿泊者3万人台を回復した90年度には24%が外国人に。安価な宿泊費が長期滞在者に受けたのだ。

 2010年代のインバウンド景気で活況はさらに加速。15年度には宿泊者約4万人のうち36%(1万4504人)が外国人に。16年6月1日の市民版は「日本人客は14年度比約1200人減少。『外国人客によって先に予約が埋まるなどしたため』」と伝える。

 ここにコロナ禍が直撃した。20年度の宿泊者数は過去最少の5566人、外国人はわずか94人。緊急事態宣言下の現在は、休館を余儀なくされている。

 人との接触を避けることが叫ばれる中、交流を売りにするYHには苦しい。広い庭を利用して少人数でたき火を囲むイベントを催すなど、危機を乗り越えようとしている。高田さんは「大学の授業はオンライン化し、YHの理念である『つながり』の価値は、むしろ増している」。若者の気質や世界の観光ニーズを敏感にとらえ、時代に対応してきたYH。次の変化を模索している。

■若者文化と京都
1968年 東大紛争に突入。全共闘メンバーが安田講堂を占拠
  70年 女性雑誌「アンアン」創刊。翌年には「ノンノ」も登場
  72年 京都市でマクドナルド関西1号店の「藤井大丸店」(下京区)がオープン
  73年 円山公園音楽堂(東山区)で「宵々山コンサート」始まる
  79年 携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」発売
  86年 「新人類」が流行語大賞の金賞に
  93年 有効求人倍率(年平均)が1.0倍を割り込み0.76倍に。以降、13年連続で1.0倍を下回る
  94年 「就職氷河期」が新語・流行語大賞の審査員特選造語賞に
2002年 「ゆとり教育」が全面実施。後に「ゆとり世代」と称される