滋賀県信楽町(現・甲賀市信楽町)でJRとSKRの列車同士が正面衝突し、死者42人、負傷者614人を出した信楽列車事故は5月14日で発生から30年を迎える。捜査や調査、人命救護に携わった4人に当時を振り返ってもらい、教訓や再発防止への思いを聞く。連載3回目は、鉄道安全推進会議の副会長を務めた安部誠治さん(68)に語ってもらった。

 日本の鉄道では1950~60年代に死者が100人を超えるような事故が何回も発生しています。このため鉄道会社は信号系統の改善や自動列車停止装置(ATS)導入など安全対策を実施、踏切事故対策も行った結果、事故件数は劇的に減ってきました。

 そうした中で発生した信楽事故では、単線上で列車が正面衝突し死者42人を出しました。87年のJR発足以来、初の大規模事故でした。そして鉄道事故調査機関ができる契機になりました。背景には遺族らが作った鉄道安全推進会議(TASK)の地道な活動がありました。

TASKは93年8月、事故調査の充実などを目指して、同事故の遺族有志が呼び掛けて設立された。安部さんも副会長として鉄道事故を調査する常設組織の設置を求めて尽力した。

 運輸省(当時)が臨時の調査委を立ち上げて事故を調べたが、報告書は10ページ程度にすぎず、お粗末だった。原因が究明されなければ再発防止につながらない。遺族の臼井和男さん(2005年死去)が初代会長になり、補償交渉とは別に問題提起をしたのです…