事故現場に建立された犠牲者追悼慰霊碑の前で手を合わせる遺族(10日、甲賀市信楽町黄瀬)

事故現場に建立された犠牲者追悼慰霊碑の前で手を合わせる遺族(10日、甲賀市信楽町黄瀬)

事故現場に建立された犠牲者追悼慰霊碑の前で手を合わせる遺族(10日、甲賀市信楽町黄瀬)

事故現場に建立された犠牲者追悼慰霊碑の前で手を合わせる遺族(10日、甲賀市信楽町黄瀬)

 滋賀県信楽町(現甲賀市)で1991年に起き、42人が犠牲になった信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車の正面衝突事故は14日で30年を迎える。供養のため、遺族は真実を求めて法廷で長く争い、悲劇を繰り返さないと鉄道安全に尽力してきた。今、高齢となり、事故現場から足が遠のいてはいても家族への思いはあの一瞬で止まったまま。「亡くなった娘は今も心の中にいる」「一生忘れられない」-。悲しみは今も癒えない。

 「『信(のぶ)ちゃん、今日も一日よろしくね』と毎朝ご仏壇に手を合わせている。私にとっては生きていて毎日会話を交わす相手」。長女の信子さん=当時(26)=を亡くした臼井泰子さん(78)=京都市右京区=の30年続く習慣だ。事故の日のことは今も鮮明に覚えている。出勤する娘を「行ってらっしゃい」と送り出した朝。夕方、体育館に安置された遺体と対面した際の現実感のなさ。

 夫の和男さんは他の遺族らと93年に鉄道安全推進会議(TASK)を結成し、会長として鉄道の安全対策強化に奔走。2001年に航空・鉄道調査委が発足した。しかし和男さんが亡くなった2カ月後の05年4月、107人が死亡する尼崎JR脱線事故が起きた。「主人の頑張りは何だったのかと一番つらかった」と振り返る。

 体調を崩し、3年ほど信楽の事故現場を訪れていない。「家で祈るしかできないが、自分たちのような悲しい経験は誰もしてほしくない」と願う。

 後藤泰子さん(78)=大阪府茨木市=は、JR西の列車に乗り、信楽で開催中の「世界陶芸祭」に夫婦で向かう途中で事故に遭った。夫の正利さん=当時(51)=は亡くなり、自身は奇跡的に軽傷で済んだ。

 親の介護と育児が一段落し、2人で思い出を作ろうと話していた直後だった。「真面目で面倒見が良かった」という夫に感謝し、毎日仏壇に向かう。

 事故現場脇の慰霊碑前で毎年命日に営まれる追悼法要には5年ほど前から参列していない。「事故を知らない人も周囲に増えた。今は静かに暮らしている」。遺族会世話人代表だった吉崎俊三さんら鬼籍に入る遺族もいる。「当事者である限り事故は生涯忘れられないが、今は今でいろいろなことが起こる。節目かな」と話した。

 追悼法要では年々遺族の参列がなくなり、新型コロナウイルス感染拡大もあって、昨年は初めて遺族が姿を見せなかった。JR西によると、今年も出席は予定されていないという。それでも今月10日の慰霊碑前には県外の遺族男性の姿があった。「人がいない時に静かに拝みたい」。そっと手を合わせた。