あの日も空は晴れていた。列車正面衝突と救助の現場を目の当たりにして以来、30年間、事故の背景を追跡してきた。

 JR西日本は長い間、赤信号で発車させた信楽高原鉄道が全面的に悪いとの主張を続けた。社長が自社の非を認めて遺族におわびしたのは、民事で大阪地裁と大阪高裁がJR西にも過失があると判決してからで事故から約12年後のこと。

 その間、JR京都駅構内で工事に伴う手信号時に列車が誤進入するなどひと晩で3件の重大インシデント(事故になりかねない事象)が発生。JR塚本駅構内では救助活動中の消防署員が、運転を再開した特急にはねられて死傷した。

 乗り入れのJR列車に乗車していた長女を亡くした…