江戸時代の天保の改革のさなか、幕府は財政再建のため新開地の見分(検地)を推し進めようとした。1842(天保13)年、近江に幕府役人一行がやってきて、凶作で疲弊する村々を回り、厳しい見分を続けた。年貢の過酷な取り立てを迫られることに怒った旧甲賀、野洲、栗太3郡の農民が蜂起し、三上山(滋賀県野洲市)の麓にあった役人の宿所に押し寄せた。その数4万人とも伝わり、見分を事実上撤回させる「10万日の日延べ」を勝ち取った。しかし、その代償も大きかった。