国際日本文化研究センター(日文研)による共同研究の成果を市民に伝える「第2回日文研―京都アカデミック ブリッジ」(主催・日文研、京都新聞 協力・文化庁地域文化創生本部)が3月28日、京都市左京区の京都市京セラ美術館であった。テーマは「京と江戸 美の文化学」。外国人研究者や画家の視点も交え、東西の文化を議論した。

 

【登壇者】
タイモン・スクリーチさん ロンドン大教授、東京外国語大客員教授
松平莉奈さん 画家
石上阿希さん 国際日本文化研究センター特任助教
司会 国際日本文化研究センター・荒木浩教授

【略歴】
T・すくりーち 1961年英国生まれ。日本美術史、江戸文化論。著書に「江戸の大普請」(講談社学術文庫)など多数。

いしがみ・あき 1979年生まれ。近世文化史。著書に「江戸のことば絵事典」(KADOKAWA)など。

まつだいら・りな 1989年生まれ。京都市立芸術大で学ぶ。続「京都 日本画新展」優秀賞、京都府文化賞奨励賞。

あらき・ひろし 1959年生まれ。日本古典文学。編著書に「古典の未来学」(文学通信)。著書に「日本文学 二重の顔」「かくして『源氏物語』が誕生する」ほか。

日文研・井上章一所長あいさつ

 

 みなさま、今日はなかなか大変な状況の中で、ここまでお運びくださって、本当にありがとうございます。「京と江戸 美の文化学」ということでお届けいたします。後ほど、青木さんから、江戸・東京側のお言葉があると思います。私が思い出す京都の美について少し語らせてください。

 45年ほど前のことでした。まだ学生のときです。クラスメートから聞いた話をお伝えします。京都国立博物館かな。彼は、いわゆる日本美術の展示を見に行ったんだそうです。すると、眺めていた鑑賞者の老夫婦がこんな話をしていたというんですよ。

 「あの掛け軸、ついこの間まで誰それさんのところにあったやつや」「あっ、これは誰それさんのところのや」という会話に驚いたと、彼は私に伝えてくれました。私はいま、京都嫌いを標榜するようになってしまった身なんですが、そのころはちょっと自慢げに、「いやあ、京都はそういうまちなんやで」と言ってしまったことを覚えています。

 「アカデミック ブリッジ」初回で講演をしてくださった、ウスビ・サコさんから聞いた話も、さもありなんと思いました。京都精華大学の学長さんです。精華大学にも美術のコースがあります。美術史の授業があります。先生方がいろいろ、名だたる美術家の名前を挙げて、授業を進められるそうです。

 そのときに学生からしばしば声が掛かるんですね。「あっ、それ、うちのひいおじいちゃんです」って。先生方はそこで授業の手が止まってしまうらしいです。美術が息づいているまちなんだということを、祇園祭のときに行われる屛風祭だけでなく、いろいろ感じられますね。

 このごろはさすがに、展覧会を見て「ああ、あの軸は誰それさんのところにあったやつだ」というやりとりは減っているような気はします。でも、以前はそこに京都らしさが残っていたような気がします。東京には、そういう光景がないんじゃないかと思います。青木さんが次にどのようなことをしゃべっていただくか、楽しみです。

 ちなみに青木淳さんは、この建物をリフォームしてくれた建築家の方です。本年度の京都建築賞を、このリフォームで勝ち取られました。本当にいやらしいコメントですが、私はその審査員の一人でした。すみません、青木さん、しようもないことを言ってしまって。これで、あいさつに代えさせていただきます。どうもありがとうございました。

京都市京セラ美術館 青木淳館長あいさつ

 

 こんにちは。京都市京セラ美術館館長の青木です。本日の第2回日文研京都アカデミック ブリッジ、出席するつもりでしたが、江戸でのっぴきならない用事があり、ビデオメッセージでのごあいさつとなることをお許しください。

 今日のテーマは「京と江戸 美の文化学」です。とても興味深いテーマです。実は僕は、京都市京セラ美術館が建っている京都市・岡崎と、教えている東京・上野にある東京藝術大学の間を行き来しております。岡崎と上野。これも一つの京都と江戸の対のように感じています。

 ご存じのように、江戸のまちは京都をモデルとしてつくられた都市です。江戸城の鬼門の位置に当たる上野には、京都にとっての比叡山延暦寺に相当するものとして、東叡山寛永寺が築かれました。琵琶湖に相当するものとしては、不忍池がつくられました。あろうことか、琵琶湖の竹生島を見立てて、不忍池の中には弁天堂がつくられました。

 このように、江戸のまちそのものが京都を模してつくられたわけですが、京都と江戸は地形からしてもまったく異なっています。京都が山に囲まれた盆地であるのに対し、東京は細かいひだでしわくちゃの台地です。その台地の遠くの端が上野で、その先は崖。がくんと落ち込んでいます。

 京都は端になると、がくんと高まる。しかし、江戸は端になると、がくんと下るわけです。そうしてみると、江戸が京都をいくら上手にコピーしても、まったく異なる町になってしまいます。その相違と相似が面白いなと思っています。今日、もしここに参加できていたら、タイモン・スクリーチさんにそのあたりをいろいろ教えてもらえたのにと、悔しく思っております。

 明治時代に入り、政治家たちがモデルとしたのは西洋の国々です。例えば彼らはヨーロッパで、博覧会が公園で開催されているのを見て帰ってきて、それをまねして、上野の巨大な寛永寺境内を公園として整備して、博覧会を開きました。

 中でも大きな博覧会は、内国勧業博覧会ですね。東京では1877年に第1回、1881年に第2回、1890年に第3回内国勧業博覧会が開かれました。博覧会の会場の中心にあったのが美術館でした。開会式には、天皇がその美術館を背にして勅語を読まれました。それがいまの東京国立博物館の前身です。

 一方、第4回内国勧業博覧会は京都で開催されました。場所はこの岡崎です。しかしその中心としてつくられたのは、美術館ではありませんでした。それは794年の平安京遷都のときの大内裏の一部を復元したパビリオンでした。その復元された大内裏を背にして、天皇が勅語を読まれたわけで、そこがいまの平安神宮になったところです。そのときに美術館は、平安神宮の東隣につくられました。

 京都では、中心は美術館ではなく大内裏。その脇に控えるのが美術館ということが、とても面白いと思います。

 ところで、上野にせよ、岡崎にせよ、内国勧業博覧会では、その儀式的な、あるいは西洋的なメイン会場の手前側に、縁日的な売店街がつくられていました。啓蒙を目指しつつ、祝祭的な面もセットになっていたと言えると思います。これはやはり江戸時代以来の、上野でいえば、寛永寺が宗教施設であると同時に、御開帳なり、見せ物の空間であったこととつながっているということです。

 そうした門前町の光景ということは、上野がいまでも花見の名所であることに表れていると思いますが、江戸時代にあっては一体化していたであろう、真面目と滑稽の感覚が、明治以降に分離・二重化してしまったことをあらためて感じています。

 もし、今日ここに参加できていましたら、日本文学が持つ猟奇的とも言える生々しさ。あるいは春画が持つ滑稽について、松平莉奈さん、石上阿希さんのお話をお聞きできたのではないかと思い、やはり悔しいです。

 長くなりました。いずれにせよ、今日はこれから刺激的なお話を楽しまれる皆さんを、江戸からうらやましく思っております。ご静聴ありがとうございました。

司会 荒木浩・国際日本文化研究センター教授

あらき・ひろし 1959年生まれ。日本古典文学。編著書に「古典の未来学」(文学通信)。著書に「日本文学 二重の顔」「かくして『源氏物語』が誕生する」ほか。

 こんにちは。井上所長からは「京都の視点」。青木館長からは「江戸の視点」でお話がございました。ちょうどいいイントロダクションになったかと思います。

 毎日新聞社「毎日芸術賞」を、この美術館の設計で青木館長が取られました。京都と東京と、両方の視点から評価をされた建物といえるかもしれません。

 今日はタイモン・スクリーチさん、石上阿希さん、松平莉奈さんという3人の、それぞれの専門と、地域と、視点を持つ方々に、それぞれ専門の観点からいろいろなお話をしていただこうと思っております。

 最初にロンドン大学のタイモン・スクリーチさんからお話をしていただき、その後に石上さん、松平さん、それぞれの視点から話していただいた上で、討論に入ります。

 まずタイモン・スクリーチさん。お手元の資料に載っていないところでは、今日のお話にも関係する『Tokyo Before Tokyo』という本が出ました。中国の都から奈良の都、平安の都と書き出し、江戸へ至るという非常に視野の大きな東京論。どちらもいずれ翻訳が出るのではないでしょうか。もう1冊、『The Shogun's Silver Telescope(将軍の銀色の望遠鏡)』。こちらは大航海時代のイギリスから、いわゆるガリレオ式望遠鏡。出来たてほやほやの品が江戸にもたらされるという、本当にロマンあふれる、そして世界の視野を駆け巡るお話を書かれている。もうあふれるほどの創作力のある美術史家でいらっしゃいます。

 それではスクリーチさん、よろしくお願いいたします。