今津東小上弘部分校の跡地で、記念碑のカバーを取り外す卒業生たち(高島市今津町上弘部)

今津東小上弘部分校の跡地で、記念碑のカバーを取り外す卒業生たち(高島市今津町上弘部)

1960年代半ば頃の今津東小上弘部分校の校舎(住民提供)

1960年代半ば頃の今津東小上弘部分校の校舎(住民提供)

 約半世紀前に統合されるまで滋賀県高島市今津町にあった今津東小上弘部(かみひろべ)分校を記憶にとどめようと、地元に住む同校卒業生らが記念碑を同校跡地に建てた。一時は「日本で一番児童数が多い分校」と呼ばれ、地域の拠点でもあった学び舎(や)の約90年の歴史を伝えている。

 分校は、1874(明治7)年に阿志都弥(あしずみ)神社・行過(ゆきすぎ)天満宮(同市今津町弘川)境内に、地元も協力して開校した「知徳学校」が源流。何度かの改称を経て、1958年に今津町立今津東小上弘部分校となった。

 50年代半ばには約200人が通学し、日本一児童が多い分校と言われたという。しかし今津町の発足(55年)に伴う通学区の再編や学校整備を受け、66年に同小の新校舎完成に合わせて統合され、閉校した。

 その後は校舎の一部が工場として使われていたが、2015年に解体されて往時をしのぶものがなくなったことから、地元の6自治会でつくる上地区連絡協議会が記念碑を設置することにした。

 記念碑は高さ約70センチ、幅約110センチ。「上弘部分校跡地」という文字とともに、学校の歩みをまとめた文が刻まれている。

 完成式では、同連絡協の昨年度の会長石田清隆さん(67)が「ここに私たちの学校があった証しを残すことができた」とあいさつ。集まった卒業生ら約20人が協力し、カバーを取り外した。参加者たちは記念撮影の後、碑を前に遠足や冬の学校生活などの思い出話に花を咲かせた。