発見された形原松平家ゆかりの涅槃図(亀岡市北古世2丁目・光忠寺)

発見された形原松平家ゆかりの涅槃図(亀岡市北古世2丁目・光忠寺)

軸の両端に付けられた軸主。丸に利の字を入れた形原松平家の家紋がかたどられている

軸の両端に付けられた軸主。丸に利の字を入れた形原松平家の家紋がかたどられている

 京都府亀岡市北古世2丁目の光忠寺で、行方が分からなくなっていた釈迦(しゃか)の涅槃(ねはん)図が見つかった。江戸時代の亀山藩(現在の亀岡市域)の藩主だった形原松平家ゆかりの品で、寺は今後修復し涅槃会(え)などへの活用を検討している。裏書きに寄進者や修復した経緯なども記され史料的価値も高く、市や府は文化財への指定登録を目指している。

 発見された涅槃図は縦約150センチ、横約120センチで、室町時代前期ごろの作とみられる。作者や制作当初に誰の所有だったのかなどは不明だが、江戸時代前半の1678年、篠山藩(兵庫県丹波篠山市域)の元藩主、松平康信が当時篠山藩にあった形原松平家の菩提寺の光忠寺に寄進。1725年には康信のひ孫にあたる信岑(のぶみね)が修復した。信岑は48年、亀山藩に転封され、その際、光忠寺も亀山藩に移った。

 涅槃図も亀山に持ち込まれ、1910年制作の寺宝の調査目録に「涅槃像圖(ず) 松平若狭守康信寄附」などと記録されていた。その後、行方知れずとなり、住職の齋藤義彦さん(67)が5年ほど前からオークションをチェックするなど調査を進める中、昨年12月、檀家宅で発見した。

 なぜ檀家の自宅に移されていたのかは不明だが、目録の記載通り涅槃図の裏書きには、康信が早世した息子典信(すけのぶ)のため寺へ寄進したことが記され、後に信岑が修復したことも明記されていた。

 作品は、細く切った金箔(きんぱく)を貼り付け繊細な文様を表現する截金(きりかね)や、立体的な盛り上げ彩色などの技法を駆使し、釈迦や周囲で嘆き悲しむ人々の様子を細かく描写。表装上部の八双両端の飾り「端喰(はしばみ)」と下部の軸の両端の軸首(じくしゅ)には、丸の中に「利」と書いた形原松平家の家紋がかたどられている。

 市文化資料館は「絵画的価値も大きいが、康信と信岑については史料が少なく、事績を追える史料として歴史的価値も高い」とする。齋藤さんは「修復を終えたら、涅槃会で使い、檀家や市民に見てもらいたい」と話している。徳川家康を描いた掛け軸も目録にはあるものの実物が見つからず、涅槃図と同様に探しているという。