農耕に移行せず、狩猟や採集、漁を生活基盤としたままでも、人類は定住し、文化を築いた。

 そのことを明らかにする貴重な物証として、青森市の三内丸山など17遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田各道県)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されることが確実となった。

 審査していたユネスコの諮問機関が一昨日、登録を勧告。7月に正式決定する見通しである。

 これを加え、日本の世界遺産は文化20、自然5の計25件に上る。先史時代の遺跡は初めてで、最古のものとなるだけに意義深い。

 「地域の誇りだ」とする関係者と、喜びを分かち合いたい。

 縄文時代は、急激な温暖化によって森が実り豊かとなり、海産物にも恵まれた。

 1万年以上も続いて、定住生活や、それに伴う精神文化が成熟した。人類史上でも、まれな期間とされている。

 登録される17遺跡の年代は、紀元前1万3000年~同400年に及ぶ。

 最も古い太平山元(青森)は、建築物のない簡素な居住地にすぎないが、次の段階の垣ノ島(北海道)では住居と墓が分離した。さらに時代が進むと、祭祀(さいし)場もできて、三内丸山のような大規模集落が登場する。

 これらをたどることで、農耕以前であっても集落が発展した様子が、よく分かる。登録に必要な「ある文明の存在を伝える無二の物証」という条件を、十分に満たしているといえよう。

 ただ、専門家以外に理解されてこそ、本当の意味での世界遺産となろう。17遺跡の貴重な価値について、若い世代や国内外に、広く伝えてもらいたい。

 地元が登録に名乗りを上げたのは2006年で、今回の勧告まで15年もかかったことになる。

 登録には、万全の保護管理体制が要求されている。このため、地下に高速道路が通る遺跡や、工業地帯に隣接していて景観保全の難しいものは除外し、保存状態のよいところを厳選した。

 将来にわたって世界遺産であり続けるには、遺跡の保全に努めていくことが大事である。

 二つのストーンサークルの間を県道が走る大湯環状列石(秋田)では、迂回(うかい)工事が検討されている。国や道県は、こうした取り組みを積み重ねてほしい。また、住民の理解と支援も不可欠だ。