栽培している万願寺甘とうの様子を見る北山さん(福知山市三和町中出)

栽培している万願寺甘とうの様子を見る北山さん(福知山市三和町中出)

 発生から10年がたった東日本大震災直後に福島県で就農する予定だった男性が、京都府福知山市に移住して農業を営んでいる。東京電力福島第1原発事故の影響で、福島では農家としての人生に展望が持てず、新天地で野菜の栽培に精を出している。

 同市三和町中出の北山慶成さん(42)。北九州市出身で、東京都内の通信機器販売会社で営業の仕事をしていた11年前、妻節子さん(43)の希望もあり、節子さんの故郷の福島県いわき市へ移住した。仕事は農業に決め、2人でネギ栽培の研修を受けていた2011年3月、震災に見舞われた。

 4月に独立する予定だったが、野菜の単価の下落が予想され、北山さんは「就農するためには設備投資しないといけないが返済は不可能と考えた。大きな余震も続き、すぐに出て行かないとと思った」と振り返る。

 京ブランドの野菜に関心を持ち、京都への移住を考えた。インターネットで見つけた三和町内の農園で11年5月から研修を受けた。12年4月に独立し、万願寺甘とうと紫ずきんの栽培を始めた。縁もゆかりもない地で未経験の農業。「4年間はずっと失敗し続けた」という。離農も考えるほど収入が少なかったが、収穫量が多い農家を見に行くなどの努力を重ねて根本的に栽培方法を見直し、万願寺甘とうの栽培を軌道に乗せた。

 被災地については「5年前ぐらいまでは考えていたが、ほかにやらなきゃいけないことがたくさんあるので、過去のことより先のことを考えている」と語る。一方、「本当は妻の親族や友人らがいる場所で生活できるはずだったのができなくなった。協力してくれる人がいない場所で子育てなど生活していくのは大変」と打ち明ける。節子さんは「地元の思い出、大切な場所が壊された」と憤っているという。

 原発事故で福島県などから京都府内に避難した住民らが国と東京電力に損害賠償を求めた訴訟にも参加している。「原発の恩恵を受ける人も多いと思うが、そうではない人たちが少数だと黙認され、切り捨てられてもいいのか。経済活動が優先され、命が軽視される側に立った時に自分の声を上げるべきと思った」。18年の京都地裁判決は賠償を命じた。原告側と国、東電が控訴し、大阪高裁で係争が続いている。

 運転開始から40年を超えた原発の再稼働の動きについては「安全性を考慮して新しい原発を造るなら話は違うかもしれないが、耐用年数が過ぎてさらに活動年数を引き延ばすのは、単に利益を求めてやっているだけの話」と力を込める。

 北山さんは今、15アールの畑に8棟のビニールハウスを建てて万願寺甘とうを栽培している。JA京都にのくに万願寺甘とう福知山部会の部会長も務め、安定的な供給やPRに尽力する。「ブランドを次の世代に残して産業にしたい」と意気込む。