東京五輪に対する国民の疑問はますます深まったのではないか。

 菅義偉首相にとって初めての党首討論が、きのう行われた。

 焦点は、新型コロナウイルス感染で医療が逼迫(ひっぱく)する中、東京五輪・パラリンピックを開催する意味を菅氏がどう語るかだった。しかし、明確な答えはなかった。

 開催を契機に国内感染が広がる可能性への認識を問いかけた枝野幸男立憲民主党代表に対し、菅氏はこれまでの対策を紹介するにとどめ、1964年の東京五輪の思い出話を長々と披露した。

 感染リスクがある中で開催にこだわる理由を聞いた志位和夫共産党委員長にも、「国民の命と健康を守れなくなったらやらない」とする従来の原則論を繰り返した。

 党首同士による討論の場でも、質問に正面から答えず、はぐらかして時間をやり過ごそうとする菅氏の姿勢が強く表れた印象だ。

 あくまで開催を言うなら、可否を判断できる十分な根拠を説明する必要がある。だが、菅氏からは国民の心配に応えようという真摯(しんし)さはうかがえなかった。極めて無責任と言わざるを得ない。

 五輪開催を巡っては、政府のコロナ対策分科会の尾身茂会長が慎重姿勢を見せ、開催リスクやその低減方法について「選択肢を示すのが責務」だとして、関係者への提言を行う考えを示している。

 多くの分科会メンバーも同調しており、専門家らが五輪開催を懸念していることは明らかだ。

 しかし、政権は尾身氏の発言を「自主的な研究」として聞き流す構えを見せるなど、危機感を共有する姿勢に欠けている。

 菅氏が頼みにするのはワクチン接種のようだ。党首討論でも「医療逼迫は大幅に改善される」と述べた。ただ、五輪までに国民の大多数に打てる見通しはない。接種の動きは加速しているが、開催の根拠とするには不十分だ。

 競技場に観客を入れるかどうかの結論はまだ出ておらず、会場外で人々の行動をどう管理するかも手探り状態だ。多くの人が集まるパブリックビューイングなどでは一部中止の動きもみられる。

 開幕まで時間がないのに、万全な感染対策を施した準備を進められるのかどうか、疑問の声が出るのも当然だ。

 「国民の命や健康を守る」と言いながら、菅氏はその具体策を示さず、ひたすら開催に突き進んでいるように見える。そうした態度が多くの国民に不信感を抱かせている現実を受けとめるべきだ。