亀岡小バス列車衝突事故の現場付近に建つ慰霊碑で手を合わせる今西さん(右)ら=京都府亀岡市千代川町

亀岡小バス列車衝突事故の現場付近に建つ慰霊碑で手を合わせる今西さん(右)ら=京都府亀岡市千代川町

事故を報じる京都新聞の紙面(1958年6月11日朝刊)

事故を報じる京都新聞の紙面(1958年6月11日朝刊)

 亀岡小(京都府亀岡市)の社会見学帰りのバスが国鉄山陰線の列車と衝突し当時の5年生4人が亡くなった事故から10日で63年となった。亀岡市史に残る大惨事だったが関係者以外で事故が語られることは少なくなっている。4人の命日でもあるこの日、遺族や同級生らは事故現場近くの亀岡市千代川町川関にある慰霊碑を訪れ、手を合わせて故人をしのんだ。

 事故で亡くなった林邦雄さん(当時11)の弟健次さん(70)も献花に訪れた。当時の記憶はあまりないが「事故後連日、家に弔問客が訪れて来るのが嫌で、学校の後は友だちの家に行っていたのを思い出す」という。事故後、家では邦雄さんのことを話すことはあまりなかったが、63年変わらず命日には現場にお参りに来ている。「家族ですから。これからも行ける間は毎年続けます」と話す。

 事故当時、学校葬は営まれたが、その後は合同の慰霊祭などはないという。亀岡市教育委員会も節目ごとの慰霊や副読本で事故を伝えることはしていないという。遺族や被害者が個別に慰霊に訪れるほか、地元住民が慰霊碑の清掃を続けている。

 当時、亀岡小5年で別のバスに乗り換えて事故に遭わなかった西川正躬さん(73)は「当時を知る人も少なくなり、事故が忘れられていってしまうようで…。そのうちなかったことになってしまうのかと思うと悲しい」と話していた。

≪亀岡小バス列車衝突事故≫

 1958年6月10日、千代川町(現亀岡市)の川関踏切で、新庄発電所(現南丹市)の社会見学から帰る亀岡小5年89人と教員2人を乗せた貸し切りバス3台のうち最後尾の1台が、園部発京都行きの国鉄山陰線の列車と衝突。児童4人の死亡を含め96人が死傷した。現場は警報器付きだが遮断機がない無人踏切の上、国道と交差するため「魔の踏切」と呼ばれていた。新修亀岡市史によると、事故後に遮断機の設置や無人踏切の解消を求める世論が高まり、国鉄が踏切改良に取り組むきっかけとなったという。