荒廃したコンクリート建物が樹木や雑草に囲まれて立ち、施設の基礎が点在する。戦時中に京都府舞鶴市東部の旧朝来村にあった旧海軍の火薬工場「第三火薬廠(しょう)」跡だ▼戦艦の砲弾など兵器の火薬を製造した海軍の火薬廠が神奈川県内に開設されて来月で100年になる。全国で3カ所に置かれた。舞鶴では終戦時に約5千人が働いていたとされるが、全容が詳細に分かる資料は少ない▼終戦で廃止され、広大な跡地には日本板硝子の工場や舞鶴工業高等専門学校ができた。舞鶴高専の牧野雅司准教授(日本近代史)によると、現地に遺構がまだよく残っているという▼ただ本格的な調査がされないまま忘れられていく現状がある。牧野准教授は「遺構はジグソーパズルのピース。失われると全体像が分からなくなる」と危惧する▼舞鶴高専の教員たちが貴重な近代化遺産だと多くの人に知ってもらうため先日、同校で一般向けに公開講座を開いた。舞鶴で観光客に人気の赤れんが倉庫群も以前は戦争関係と見向きもされなかった。光を当てる活動に期待したい▼第三火薬廠を巡っては住民の強制立ち退きや仕事の過酷さの話が伝わる。ネット上で心霊スポットと紹介される建物跡もある。しかしこの地には幽霊ではなく、戦時中の苦難の歴史が遺構とともに眠っている。