織田信長の安土城、豊臣秀吉の聚楽第、徳川家康の二条城といった天下人の城は、現代まで受け継がれた城郭のモデルになった。研究発信に長く関わっている織豊期城郭研究会代表の中井均氏(滋賀県立大名誉教授)に、歴史的な意義を改めて聞いた。

 ―天下人の城とは何か。

 「姫路城をいま見ても美しい、すごい、と感じ入ります。この視角に訴えられる城が出てくるのは、信長や秀吉が天下人となった織豊期以降です。古代の城は国家が主導し、中世には武家や寺院、百姓も含めた誰もがつくりましたが、いずれも基本は軍事優先の防御施設です」

 「これが信長の城から変わります。軍事面にとどまらず、統一政権をシンボル化し、権威を示せるよう、何より『見せる』ことに重きを置いた城を築く。秀吉による全国への展開を経て、最終到達点の家康が開いた江戸幕府になると、法令による許認可制が行き渡る。3万もあった城は壊され、公儀が認めた城に集約されてゆくのです」

 ―各天下人の城の画期性と共通性は。